チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

右を向いても左を見ても

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右を向いても左を見ても

円高
円が戦後最高値の75円台を記録した。自分のような海外の年金生活者にとって、円高は収入の増加を意味する。ここ2年半、バーツが高かった時は1万円が3400Bくらいだったが、今は3900B弱だ。1割以上収入が増えている。その反面、この円高で日本の経済は大丈夫なのかねえ、と心配している仲間は多い。

麻生政権の時、円は1ドル100円から90円半ばだった。2007年12月にドルが90円を割り込むと、新聞、テレビは、一斉に円高不況、経済無策、麻生内閣は退陣せよ、と自民党政権を非難した。80円台が続くならば、一部上場企業がバタバタ倒産する、という記事もあった。漢字が読めない、新聞も読まないと揶揄された麻生首相であるが、円高になると補正予算を付けて、それなりに急激な為替の変動を阻止していた。麻生内閣財務相中川昭一氏、マスコミの罵詈讒謗を浴びて彼が辞めたあとは与謝野馨氏が財務相を引き継いだ。二人とも政治家として経験も力量もあった。麻生政権末期には1ドル95円という水準に戻している。

管内閣の野田財務相は1985年に「松下政経塾」を第1期生として卒業し、家庭教師、都市ガスの点検員、私設教育相談所長、青年政治機構副幹事長を経て、1987年千葉県議会議員選挙に立候補、当時最年少の29歳で当選する。千葉県議は2期務め、その後国政へ。
経歴が示す通り、企業や大組織で働いた経験がない。経済の仕組みを体で学んだことはない。円高財務省幹部がいくらご進講しても95円が80円になるのだから円は安くなるということではないか、くらいの理解力しかなかったそうだ。昨今の円高について聞かれても「事態を注視している」がいつもの答え。

■いつか来た道
ある大学の客員研究員をしていたことがある。研究員の特典は閉架式図書館の裏側にはいりこんで、自由に200万冊を超える図書を手に取ることができることだった。週刊誌も発行年ごとに合本されている。ダイヤモンド、東洋経済などの経済週刊誌を30年分ほどめくってみた。中身を読む時間がないので、目次だけだ。ざっと目を通して見て、何十年経ってもあまり経済記事の内容は変わらないことに気付いた。
それは、日本経済はいつも「ターニングポイント」に来ており、「奈落の底の経済不況はもうすぐ」、ということだ。政治の無策で日本経済は行き詰る、間違いない! これが30年に渡る経済週刊誌のご託宣であった。

ドル、円の為替相場ニクソンショック後の308円からプラザ合意後の80円割れまで上がったり、下がったりを繰り返している。その度に、経済週刊誌は「円高で企業倒産続出」、「円安で市民生活は窮乏」といったパターンの記事を垂れ流していた。円安でも円高でも日本経済はダメになる。いつも同じ。
鶴田浩二の「傷だらけの人生」ではないが、「どこに新しいものがございましょう、右も左も真っ暗闇ではござんせんか」だ。

■善悪は表裏一体
1ドル、360円の固定相場が1971年のニクソンショックで308円となった。この時の驚天動地の騒ぎを経済週刊誌で確かめてみたいものだ。日本の輸出産業は壊滅すると書いてあるはずだ。その後、変動為替相場制に移行したわけだが、円高、円安という言葉が何を意味するかは自分も含めて、当時の一般庶民には何のことかわからなかった。政府関係者でもこれまで経験してこなかったことだけに動揺は大きかったようだ。

これはおおごとだ、というので、当時の水田三喜男大蔵大臣が 昭和天皇にご進講に出かけた。彼が陛下に「日本経済は円高で大変なことになっております」と申し上げたところ、陛下は「円高とは日本円の国際的評価が高まることであるから、よい面もあるのではないのか」と仰せられたという。後日、水田蔵相は、あの時ほど焦ったことはない、と述懐している。

何事も100%いいとか悪いというものはない。為替の変動で円高を享受する企業や海外生活者もいれば、減益に陥る輸出産業もある。1ドル360円から75円になって潰れた企業もあれば新しく起こった企業もある。燕市の洋食器産業は円が300円を切れば全滅するといわれていたが、チタンなど特殊金属の食器に生産を切り替えて生き残っている。

過去半世紀、経済週刊誌の暗いご託宣にもかかわらず、日本は常に難題を克服して経済を成長させてきた。日本経済はもうダメだ、と書いた責任者、出てこいと言いたくなる。

とは言うものの、「なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます」、個人的にはこういった自虐的なセリフに限りなく共感を覚える方である。


写真は昨日撮影した田植え風景、青々と生い茂った田んぼ。同じ時期にいろいろな育ち具合の稲を見ることができます。