チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ2年7カ月

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介護ロングステイ2年7カ月

■通院不要
8月に入って雨の日が多い。雨季だから当たり前ともいえるが昨年、一昨年と比べても雨が多いような気がする。1日中雨模様という日も何日かあった。
雨さえ降らなければテニスコートに行く。しかし、ここ半月、テニスができたのは7回、2日に1回の割合である。同じ雨季でも先月7月は22回コートに立っているから、やはり雨が多い。
局地的ではあるが2時間で70ミリ以上の雨が降った日もある。この日は市内中心、ナイトバザール付近はひざ上まで冠水したという。ナイトバザールや旧バスターミナル辺りは水はけがよくない。

家から病院入り口まで車で行けるし、そこからは職員が母を車いすに移し換えてくれる。特に通院に問題はないのだが雨の日に母を連れて通院するのは大変、とブアが思ったのだろう、担当医師に電話をして、母を連れていかなくても薬を処方してもらえるよう話を付けてくれた。
診療と言っても医師は服の上からおざなりに聴診器をあてるだけで、もっぱら診療時間の大半は処方箋書きに専念する。病状に変化がなければ前月と同じ薬が処方される。診察は薬をもらうための儀式のようなものだが、日本と同じように医師は患者を診察しなければ投薬はしない、と思っていたので少し意外に思った。

今回は母のカルテを見ながら医師が自分に簡単な質問する。お母さんの食欲は、睡眠は、特に変わったことはありませんか、はい、はい、何かあったら病院に連れて来て下さい、これで1月分の薬が処方された。

■薬に頼らない介護
認知症は治る病気ではないし、治す薬もない。貰っている8種類の薬を米国FDAのネットで検索してみたが、胃腸薬、カルシウム剤、軽い精神安定剤といったもので、毒にも薬にもならない、とまでは言えないが、気休めに近いものだ。でも弱い薬ばかりでいいと自分では思っている。一度、自分用に軽い睡眠薬を処方してもらったことがあるが、翌日まで頭がぼーっとして、邦人仲間との昼食会で居眠りしてしまったことがある。

母は日中も寝ていることが多い。昼間寝てしまうと、夜中に起きて大声を出す。でもその声も以前に比べれば小さくなってきた。たまに大きな声がでていると、あれ、今日は少し元気かな、などと思う。日本の施設に入っていたら、夜中に騒ぐ母は強力な睡眠剤でムリヤリ寝かされてしまったであろう。そして昼間は朦朧としていたのではないかと思う。決して非難するわけではないが、日本の介護は介護される人より、介護する人の都合で行われている部分がある。

大声を出したり、咳き込んだりすればいつでも母の横に行ける。大丈夫だよ、と体をさすると「ハイ」などと返事をしてくれる。こんなとき改めてチェンライにいる喜びを感じる。

■そろそろ自分の心配を
母に認知症の傾向が表れてきたのは母が75歳の頃でなかったかと思う。母を見ていると自分も認知症に罹り、要介護となるかもしれないな、と思うことがある。でも養老孟司先生が常々説いておられるように、人間、どんな病気にかかるか、どんな死に方をするか選べない。今から心配しても仕方ないし、ボケてしまえば心配したくてもできなくなる。

今、日本の75歳以上の要介護認定率(要支援を含む)は29.8%で、65~74歳の約6倍だ。要介護者の増加で、介護保険の給付額は急増しており、日本の社会保障制度はパンク寸前である。
深刻な問題を抱えるのは制度そのものだけではない。個々の家庭の介護現場においても、経済的負担が重くのしかかり、「介護貧困」に陥るケースも増えている。厚生労働省によれば、2000年以降の8年間で、「要介護状態」を理由に「生活保護」を受ける高齢者世帯の割合はほぼ倍増した。

一方で、特別養護老人ホーム(特養)には長蛇の列ができている。厚労省の調査によれば、2009年12月時点の入所希望者は定員とほぼ同数の42万人。厚労省は2009~2011年度までの3年間で、全国に特養などの介護保険施設を16万人分整備するという目標を掲げている。だが、2010年度までの2年間で確保されたのは8万7000人分と、目標の半分にとどまっている。これから団塊の世代が介護される時代を迎え、要介護の高齢者は増え続けるので、抜本的な待機者解決策は難しい。10年後には、現在よりも深刻な状況になる可能性が高いそうだ。

介護体制を見る限り、日本にいては老後の展望は拓けそうもない。
女中のサオさんはチェンライ市内に大きな家を持っているという。フェーン(愛人)でいいからずっと一緒に暮らしましょう、というのだが、これで老後の明るい展望が拓けるとは言えないような気がする。


写真一番上が「病院の薬剤部」後の二枚は「自宅2階から撮った雨の様子」