チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイ初の女性内閣

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タイ初の女性内閣

■8月10日にインラック内閣発足
5月10日の下院解散を受け、タイの下院選挙が7月3日に行われた。結果、タクシン元首相の末妹、インラック氏の率いるタイ貢献党単独過半数を制したことはご承知の通り。
日本では2009年7月21日に衆議院が解散され、8月30日に総選挙があった。9月16日には鳩山由紀夫民主党代表が首班に指名され、同日に鳩山内閣が発足した。選挙結果を受けて20日足らずで自民党から民主党への政権移行が行われた。

タイでは日本のようにスピーディにはいかない。まず選挙後20日間は選挙管理委員会による当落審査がある。当選者500名中のうち148名が「当選に疑義がある」とされた。アピシット首相も、インラック氏もすぐには当選を認められなかった。インラック氏は選挙運動期間中に、ヤキソバを作って有権者に振る舞ったのが「買収」に当たるのではないか、と告発されていた。

ルールでは95%、475議席が確定すれば首班指名の国会が招集できるのであるが、今回は2地区で再選挙、1地区で票の再集計を行ったものの、7月末には全500議席が確定した。8月2日に国王のご承認のもとに国会が召集され、まず下院議長が選ばれた。下院議長の任命にも国王のご承認が必要で、写真を見ると下院議長は床に這いつくばって片手を国王にさし出している。下院議長が勅命で決まったあと、8月5日に下院でインラック氏が首班に指名され、8月8日にこれまた勅命により正式にタイ初の女性首相が誕生した。憲法では首班指名から30日以内に閣僚名簿を出せばいいことになっているが、8月10日に閣僚名簿が国王に承認され、早々とインラック内閣が発足した。
タイ貢献党は少数党との連立を組んでいるので、35名の閣僚を不満の出ないよう当てはめていくのは楽ではない。名簿提出直前まで各党の駆け引きが繰り返されたというし、内閣発足後も人事を巡って多少の混乱が予想される。

また選挙で惨敗した民主党はアピシット首相が党代表を辞任したが、党大会で再び代表に選出された。日本だったら総選挙の結果、民主党が惨敗して、政権の座から転げ落ちたあと、再び管直人氏が党代表に選出されるようなものだ、と思うのだが実際のところよくわからない。

■国民的和解は
インラック氏は美人で演説の態度は堂々としている。しかし、これまで政治の経験はない。選挙期間中「私はタクシンの政策を継承する」と支持を訴えていた。タクシン元首相も「インラックは私のクローンである」と言っているように、タクシン元首相が新政権の陰の主役と言ってよい。国外追放になって5年になるが、追放中でもその人気は衰えることなかった。今回の選挙結果を受けて、ドバイに住むタクシンのもとをタイの有力政治家が相次いで訪問していることが報じられている。タクシンはまだ62歳、やる気は十分だ。

タクシン氏は1995年にビジネス界から政界に転じ、貧困層へのバラマキ政策を掲げて2001年の総選挙で大勝し、首相に就任した。彼は4年の任期を勤めあげたタイで最初の首相であった。彼の在任中、タイは計画を上回る経済成長を続けた。
その反面、タクシンはファミリーの株取引疑惑、学校の同窓生へのポスト優遇など、金権、汚職体質と批判されてきた。しかしながら、タイ政治の汚職構造はタクシンに限ったものではない。

■タクシンの凱旋帰国はいつ
「国家繁栄なら汚職容認」65% タイ私大調査、という7月21日付の記事。
タイの私立アサンプション大学(ABAC)が13-19日にタイの17 県の18歳以上を対象に行ったアンケート調査で、「国が繁栄し、国民の生活が向上するならば、政府の汚職を容認できるか」という質問に対し、「容認できる」が64.5%に上った。回答者は2559人。
 「容認できる」は女性65.4%、男性63.4%で、年齢別では20歳未満が71%と最も高く、50歳以上が61.7%と最も低かった。月収別では5000バーツ以下が64%と最も低く、2万1千バーツ以上が71%と最も高い。職業別では公務員・国営企業職員が50.9%と最も低く、学生が72.3%と最も高かった。

どうやら正義感が強いはずの若者、学生の7割、そして中産階級汚職容認という結果だ。汚職は失脚の決定的要因とはならない。原油高、インフレの中、タイ貢献党は減税、最低賃金増額などインフレ加速の政策を掲げている。経済の動向次第では、タクシンの凱旋帰国を待望する国民が増える。富裕層、軍部はそれに反発してまたクーデタを起すのか、それとも国王の恩赦で穏便に政界復帰をさせるのか、多分、半年以内に決着がつくだろう。



写真は上から「喪服姿のインラック氏ほか」「インラック氏の家族」「下院議長に詔書を手渡すプミポン国王
喪服や喪章をつけているのは先月27日亡くなった国王のいとこ、ペチャラット王女(85歳)の喪に服しているためです。