チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

林住期

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林住期

■改めて林住期
「林住期」という言葉を知ったのは20代か30代初めのころだ。評論家江藤淳氏の講演集にヒンドゥー教の「四住期」の記述があった。
「学生期」、「家住期」に続いて「林住期」がある。勉学や仕事、家庭からも離れ、来し方、行く末を考える。林住期は、世捨て人になるわけではなく、好きな人とだけ交わり、好きな本を読み、またこれまでやりたかったこと、趣味に打ちこんでもいい自由な時だ。

思い起こせば受験や単位を取るために、数学の問題を解いたり、法律書を暗記した。給料のかなりの部分は「我慢代」であるから仕方がないが、気の合わない上司や無理難題を言う顧客に頭を下げたりした。林住期とはそれら自分を縛っていた諸々の義務から解き放たれた人生の黄金期と言える。

著書が手元にないので、江藤さんがどのような文脈で林住期を述べていたのかわからない。でも彼が林住期をそれほど持ち上げていたとは思われない。江藤さんは66歳の時に自殺した。

■ナホトカ経由モスクワ行き
江藤さんと気安く書いているのは、彼と出会い、言葉を交わしたことがあって、勝手に親しみを感じているからだ。

もう40年前のことになる。自分はある電器メーカーへの就職を辞退して留年し、バイトに励んだ。スペインに行くためである。当時、欧州へ行く貧乏旅行者に人気があったのは横浜からナホトカまで船で行き、ハバロフスクを経てモスクワに入り、そこから欧州各地へ飛ぶ、というルートだった。半年働いて、ソ連の貨客船、ハバロフスク号の3等船室の切符を手に入れることができた。

当時のソ連は米国と並んで世界2大強国の一つだった。宇宙産業のみならず経済成長も著しく、これからはロシア語が必須と言って、多くの理科系学生がロシア語を学んでいた。文化面でも米国を凌駕しようと、ソ連は盛んに文化人を自国へ招へいした。ハバロフスク号には、私小説作家の藤枝静男城山三郎江藤淳の三氏がソ連作家同盟の招待で乗船されていた。年配の藤枝氏に、城山、江藤両氏がまるで大旦那に対する番頭、手代のようにお仕えしていたのを思い出す。この時のことを藤枝氏は「両氏の優しさに対して生涯頭のあがらぬことを告白する」 (「ヨーロッパ寓目)と書き残している。

ナホトカで我々の荷物は車に積み替えられた。自分のトランクがちゃんと載っているだろうか、と心配になってトラックのタイヤに足をかけて荷台を覗き込んだ。うん、ある、ある。自分が飛び降りると、小柄な男性が素早くタイヤに足をかけ、荷台を覗き込んでいる。この人が江藤さんだった。

赤の広場の江藤さん
ハバロフスクでは、客全員がレストランに集合して、インツーリスト手配の昼食を取った。我々は3等船客であるから、大した食事ではなかったし、飲み物も付いていない。その時、隣テーブルにいた城山三郎氏がビール瓶を持ってやってきて、「僕たち、あまり飲みませんからどうぞ」と言って自分たちのコップにビールを注いでくれた。その様子を江藤さんと藤枝氏が微笑みながら見ている。ソ連のビールはふわふわと澱が舞い上がり、決して美味しいものではなかったが、城山さん達の好意は嬉しかった。

ナホトカ経由でヨーロッパに行くには、なぜかモスクワに2,3日滞在しなければならなかった。飛行機待ちの間、観光してドルをソ連に落とせ、という仕組みだ。
赤の広場に行ってみた。9月の末、広場はもう冬の兆しか、冷たい風が吹き、空は暗く曇っていた。観光客もまばらだった。広場に江藤さんが一人で立っていた。目があったので会釈をした。
彼はカシミヤのコートにソフト帽、帽子のつばに軽く左手で触れ、小首を傾げるように微笑んだ。聖ワシリー寺院を背景に彼の姿が輝いて見えた。恰好いいなあ。その時、江藤さんは38歳、自分は23になったばかりの未熟な学生だった。

■江藤さんの自殺
まさに一期一会の出会いであったが鮮烈な印象が残っている。以来、彼の著作を折にふれては読んだ。自分の書くことが多少保守的で、天皇崇拝の傾向があるとすれば、江藤さんの影響かもしれない。

最愛の慶子夫人を平成10年暮れにガンで亡くした。翌年次のような遺書を残し、自宅で手首をカミソリで切った。

「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳

チェンライに移り住んで脳梗塞の後遺症が消えた人がいる。もし江藤さんがチェンライに来て、のんびりタイマッサージでも受けていたら、自殺などしなかったのかなあ、などとつまらぬことを考えてしまう。

写真はチェンライの市場のスナップ。花屋さんやおかず屋さんです。