結婚披露宴に出席
■プレイボーイついに結婚
タオさんが今度結婚するから出てね、とSさんが結婚披露宴の招待状をくれた。
Sさんはタオさんの親友である。タオさんは、メーサイでは中国人富豪として知られているから社会的に立場が微妙である。タイ人は親しくなると金を貸してと言うだろうし、もしかしたら悪人を手引きするかもしれない。その点、タイ社会における日本人はトランプのジョーカーみたいな存在だから、タオさんのような人にとってSさんは付き合いやすいのだろう。
メーサイの一等地にあるタオさんの家は総ガラス張り、5階建て、昇龍のように捻じれているユニークな構造になっている。
そんな家に住んでいる彼もユニークといえばユニーク。タオさんは貧しい中国移民の子から身を起こし、台湾、横浜などで中華料理店を経営し実業家として成功を収めた。今は悠々自適の身、メーサイの商店街に貸店舗をいくつも持っているので、特に働く必要はない。趣味は人を呼んで宴会を開くこと。料理には自ら腕をふるう。年末年始は2-3日毎にタオさんの家でカラオケパーティがひらかれていたそうだ。
タオさんは50半ば、中国語、タイ語、日本語、英語を流暢に話す。明るいし、如才ないので人気がある。パーティには女性も呼ぶが、彼のお好みは20歳以下の女の子だ。参加したことはないが、まるで美少女キャラバン会場のような宴会もあるらしい。
タイではお金さえあれば年に関係なくもてるから、このまま自由なエキュピリアンとして暮らしていくのだろうと思っていた。
ほー、ほー、タオさん結婚するのー、と封筒を開けてみるとカップルの写真付き招待状が出てきた。新婦は19歳、新郎は54歳。タオさんは白髪で山羊ひげのおじさんだったのに写真は黒髪、白面、どう見ても30代にしか見えない。ヒゲ剃って、髪染めたんだよ、とSさんが笑った。
■お祝金は気持だけ
披露宴に招待された場合、日本人がまず気にするのは「いくら包むか」だ。タイでは悩む必要はない。タイ人であれば、100または200B、我々外人で500B位とのこと。招待状の封筒にはナンバーが振ってある。この封筒にお金を入れて渡すのが礼儀とか、出席者と祝い金が封筒の番号で確認できる。入れるお札の枚数は偶数がよいとされる。
披露宴の会場はメーサイの光明善堂、中国人の集会場だ。光明善堂の大ホールにはテーブルが70から80,1テーブルに椅子が8脚ある。大ホールだけで数百人が座れる。建物の外には大テントが8張りあってその下に数百人分の宴席が設けられていたから、招待客はゆうに千人を越えるだろう。
新郎新婦は開宴30分前から会場入り口で来客の出迎えをしていた。プロの撮影隊が2人を追い続けている。よく見ると新婦だけでなく新郎も口紅、白粉で化粧をしている。若衆を演じる村芝居の座長といった趣きだがビデオ用メークであろうか。新婦はモデルのようなスラリとした美人、ウェディングドレスがよく似合う。タオさんはデレデレだ。自分だって19歳の嫁さんがもらえたらこの様な表情になると思う。
二人の頭にはタイ語でスィリモングコンと呼ばれる輪がつけられており、新郎の輪と新婦の輪は一本の糸で繋がっている。脳波検査を受けているようにも、また孫悟空の緊箍児(キンコジ)を嵌めているようにも見えるが、これはタイの婚姻儀式だ。
■気楽な宴会
ホール中央左に日本人だけのテーブルが3つあったが、席が決まっていたわけではなく、早く来た邦人の周りに自然と人が集まっただけ。邦人関係で20名近くいたから、チェンライの主だった中国人はすべて招待されたのではないか。
特に開会のご挨拶もなく、開宴時間が30分ほど過ぎ、料理が運ばれてきたところで自然と宴会が始まった。何十人もの給仕が忙しく皿を持って広い会場内を走り回る。壇上では中国音楽団が演奏していたが、そのうち新郎新婦、介添え人、親戚等がステージに上がった。通常はここで結納金の額と新郎が新婦に送った純金の重量が発表される。
関係者によるスピーチの最後に招待客全員がコップを持って起立し、壇上の介添え人の「チャイ」の発声に応えて会場が「ヨー」と唱和する。これを3度繰り返した。「チャイヨー」はタイ語で万歳とか乾杯の意味だ。招待客の義務はこれだけであとはひたすら飲食と歓談にこれ努める。
最後の料理であるスープを飲み終わったころ、アー、喰った、喰ったという感じで席を立つグループが出始めた。披露宴会場には新郎新婦の席ははじめから無いし、いつの間にか本人達も姿を消していたから、そのまま三々五々の散会となる。
服装は自由だし、祝辞、余興はもちろん、拍手の強要さえなく、実に気楽な披露宴であった。
写真一番上(出迎え)と二番目が新郎新婦、三番目は宴会場、
一番下の写真右がタオさん