チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

片雲の風にさそはれて 2

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片雲の風にさそはれて(2)

■中国、緊張の旅
先月の中国旅行は8泊9日、自分としては長旅だったといえる。タイに来てから2年の間にウズベキスタンカンボジアラオスの3カ国に旅行した。おおむね1週間以内の日程である。昨年11月のラオス旅行も車中泊も入れて5泊の旅だった。短期の旅行にも関わらず、レポートは十数本もダラダラと書き綴っている。
読者の中には、中国に行ったのか、また冗長な旅行記に付き合わされるのか、と心配される方がおられるかと思う。初めて中国の土を踏んだわけで、それなりに印象深いこともあったが、簡潔に書くつもりである。ご寛恕願いたい。

今回の旅は、結果として準備不足を深く反省する旅となった。自分の不明を恥じるばかりであるが、中国はやはり一筋縄ではいかないところがある。ぼったくられたり、盗まれたり、公安に逮捕されたりといった不愉快な事件にであったわけではないが、旅行中はかなり緊張を強いられた。もとより外国の旅は緊張感を伴うものである。しかしこれまでの旅とは全く異質な緊張感があった。おかげで心身はもとより歯の具合まで悪くなってしまい、チェンライに戻って永久歯を1本抜いたほどだ。ラオスカンボジアと同じく貧乏旅行であったが、このスタイルが中国では合わなかったようにも思う。

■旅のスタイル
通常、切符や宿泊の予約はせず、気ままに各地を訪れる。宿は一泊2千円以下、清潔、安全であれば十分、シャワーだけのゲストハウスでも気にならない。食事は現地の人が食べているものと同じもの、屋台の焼きそばでも構わない。美味しいものは食べたいが、星が付いているような高級レストランには行かない。せいぜいホテルお勧めのレストランに行く程度。

いつもこのような貧乏旅行をしていたかというとそうではない。宮仕えの頃、海外によく出張した。当時は会社でビジネスクラス搭乗を認めてくれていた。ホテルは取引先が迎えに来ることもあるので、あまり安いホテルには泊まれない。特に欧州のホテル料金は高く、一泊2万円、3万円はざらである。イタリアのフィレンツェで一泊5万円というホテルに宿泊したことがある。トリノの関連会社の社長の紹介でいくらかは安くなったと記憶するが、これが自分の泊まったホテルでは一番高かった。同僚がもう少し割引にならないのか、と交渉したが、フロントのホテルマンは「私どもはそういったホテルではありません」とにべもなかった。市内中心部にあり、メディチ家ゆかりの建物、格式と歴史あるホテルであったが、夜中に金縛りに遭い、かなり怖い思いをした。その話はまた別の機会に。またカミサンとプライベートでタイ、台湾を旅行した時、バンコクのホテルはシャングリラ、台北では圓山大飯店に泊まっている。

一流ホテルはそれなりに快適であることは分かっているが、今は会社の体面を気にする必要はない。「菰被る(こもかぶる)覚悟にて御座候」とまではいかないがが、身の丈に合った旅も悪くないと感じている。

■誤算の1、人民元のみ有効
どのような旅であれ、先立つものはお金である。今回用意した路銀は現金で500ドルとタイバーツで2万、日本円にして10万円ほどであるが、VISAとマスターのカードがあるので、まず大丈夫だろうと考えた。

チェンライを発って翌日の夕方に西双版納の景洪に到着した。バスターミナル近くの賓館へ行った。中国語でホテルは飯店、酒店、賓館、旅社、招待所といろいろな呼び方がある。賓館までがホテルで旅社、招待所はGHといったところか。その賓館は一泊80元(約1000円)、2日分の前払いを要求された。中国では宿泊代を踏み倒す人がいるから、デポジットを取るのが普通である。ところがその時、自分には人民元の持ち合わせが乏しかった。モーハンの入管には銀行がなく、その代わりに闇ドル買いのおばさん10数人にわっと取り囲まれる。数年前の交換レートを使っているから1000Bが170元だ。銀行ならば200元。ヤミのほうが交換率が悪いというのは珍しい。因みにウズベクでは銀行の交換レートは1ドル1700スムだが、ヤミ市場では1ドル2400スム。

ともあれ、人民元の手持ちが少なく、デポジットが払えない。100ドル札を出してもバーツ札をだしても、フロントのあんちゃんはこんなお金はだめ、はい、お金がないのなら帰って、帰って、と取り付く島もない。いくつかの賓館を回ったが結果は同じ。一泊数千円もする大飯店でもドル札もクレジットカードも使えない。外貨を交換するところもない。宿探しをするうちに時間は8時を回ってしまった。


写真は上二枚がジンホン行きバス、三番目がジンホン市内、一番下がモーハン市内