チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

民度の高さ

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民度の高さ

■大震災の報道
東日本大震災はタイでも大々的に報道された。日本とタイのテレビニュースを見比べるといくつか相違点がある。まずタイのニュースでは遺体の映像が出てくる。日本であれば、せいぜいお棺が並んでいる映像が瞬間的に流れるくらいか。こちらではブルーシートや毛布にくるまれた遺体や口にタオルを当てながら、安置所で遺体を一つずつ見て回る被災民の様子が放映されていた。亡くなられた方々の痛ましさ、無念さを実感する。

もうひとつ違うと思われるのは自衛隊の扱いである。タイの報道では自衛隊の活動の模様が頻繁に現れる。黙々と職務をこなす自衛隊員にタイの報道陣も感銘を受けたのだろうか。それもあると思うが、普通に取材していれば必ず自衛隊が出てくることになるのではないか。タイにも写真雑誌があって東日本大震災を特集していた。たまたま手に取ってみたが、地震津波、福島の原発爆発と共に、救援、復旧に当たる多くの自衛隊員たちの写真が掲載されていた。瓦礫を取り除く隊員、シートに包まれた遺体に手を合わせる隊員、物資の搬送、配布、あるいは炊き出しに当たる隊員・・・・・・。

食料や飲料水、宿泊施設などのインフラが全くないところでは、ボランティアはもちろん、警察、消防でも活動は不可能だ。自前で寝泊まりでき、補給、輜重部門を持つ自衛隊でなければ、大災害時の迅速かつ持続的な救援、支援活動はできない。防衛省に災害対策本部が設置されたのは地震発生から4分後、15分後には東北方面航空隊の偵察ヘリが離陸している。素早い反応、そして今でも10万人の自衛隊員が支援、復旧作業に当たっている。

自衛隊も被災者もすごい

以下は産経新聞4月18日から。

「3・11大地震 石にしがみついてでも」
宮城県の沿岸の都市、ある酒屋が今回の大地震津波で壊滅的な打撃を受けた。片づけに忙しい店の若者。老いた母が見守る。そこに制服の自衛官が来て、1枚の紙を示した。「招集令状」である。若者は元自衛官であり、万が一の時に招集に応じる即応予備自衛官であったのだ。
 若者は令状を示す自衛官に直立して、「了解しました」と招集に応じる意思を示した。横からテレビのリポーターが「家がこんな状態なのに行くんですか」と聞く。
 「そのために何年も訓練してきたんです。いま行かなければ、10年、20年と後悔しますから」
 そばにいた母が「人のためだから、行きなさい。うちのことは何とかするから」と声をかけた。テレビニュースの一コマである。
 来年のロンドン五輪代表に決まっている射撃の森ゆかり選手も即応予備自衛官。主婦である彼女には招集令状は来ていないが、森さんは「訓練を受けてきたので、被災地に行って活動したい」と語っている。
 元自衛官で、万が一の際、自衛隊に復帰して現役なみの活動を期待されているのが即応予備自衛官である。現在約5600人。その他の元自衛官や一般の人が訓練を受けて、万が一の時に活動するのが予備自衛官で約3万2千人。いずれも志願である。
 今回の震災ではこれまで延べ約1300人の即応予備自衛官が招集された。彼らは自分の仕事を投げ出して、任務に当たっている。
 もちろん、現役の自衛官も大活躍だ。行方不明の被災者を懸命に捜す自衛隊員。隊員のひとりに奥さんから携帯メールが入った。
 「お父さん、無理しないで」
 隊員はすぐに返事を送った。
 「いま、無理しなかったら、いつ無理をするんだ」
 宮城県で行方不明者の捜索の指揮をとっているある自衛官は「隊員は精神的にも肉体的にも限界を超えている。しかし、ここでわれわれが弱音を吐いたら、だれが行方不明者の捜索を行うのか。石にしがみついてでも最後までやり抜きます」と語った。
 過去、自衛隊を取り巻く環境は決して温かいものばかりではなかった。自衛隊いじめのようなことも事実あった。だが、そんなことはこの際、どうでもいい。事態が収束に向かったとき、さも何事もなかったかのような顔して、「自衛隊暴力装置だ」などとうそぶくことだけは、どうか、やめてもらいたいと思うばかりである。』

家財、家族を失った中年男性が「がんばりますよ、いま、がんばらなかったら、いつがんばるんですか」と絞り出すように答えていたことを思い出した。

震災直後、ニューヨーク・タイムズのN・クリストフ記者は、阪神大震災の取材経験から「日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だった」と説明し、「今後、それらが示されるだろう」と期待を寄せた。

震災から1月を過ぎ、事態は彼の期待通りに進んでいる。日本国民の民度の高さはいま、世界に強い印象を与えているに違いない。



写真はタイ正月のタンブンの模様です。お坊さんが団地にタンブンを集めに来ます。お坊さんは直接お金に手を触れることができないので串にはさんで(一番下)渡します。