チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

片雲の風にさそはれて

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片雲の風にさそはれて

■中国雲南省
チェンライから中国は近い。バスで行ける。まずチェンライからラオス国境のチェンコンまで140キロ、ローカルバスで2時間半、チェンコンから対岸のラオス領フエサイに舟で渡る。ここからラオス、中国国境のボーデンまで200キロ、デコボコの山道を行くので4時間かかる。
ボーデンから中国領のモーハンまでは徒歩でも行ける。ここは雲南省の最南部になるのであるが、国境から200キロ北上すると西双版納(シーサパンナ)タイ族自治州の州都、景洪(ジンホン)に着く。国境から中国国内は舗装道路が続いているので、景洪まで2時間強しかかからない。

というわけで、チェンライを朝早く出るとその日のうちに景洪に行くことができる。西双版納は旅行好きの人ならば誰もが訪れてみたいところだそうだ。概ね寒い地区に住む中国人にとっても、バナナやパイナップル、ヤシの木が群生する西双版納は、あこがれの土地らしい。半世紀以上前、日本人の新婚旅行のメッカが宮崎日南や南紀白浜だったことが思い出される。

チェンライと西双版納の景洪を結ぶ国際定期便が運航されるという話があった。昨年の秋のことでこの便が就航したら雲南に足を延ばすつもりであった。チェンライ空港は初の国際線就航を記念して「メーファールアン=チェンライ国際空港」と改名した。メーファールアンとは「偉大なる慈母様」、プミポン現国王の母上のことを指す。
タイではよくある話であるが、結局、チェンライ-景洪便就航の話は沙汰やみになって、チェンライ国際空港から飛ぶ国際便は未だにない。

■旅は乾季に
本年の元旦の計として、週3日は大学図書館へ行って勉強、3日はテニス、1日は休養、と決めた。誓いは破られるためにある、とは言わないが、日本からテニス好きの友人夫婦が来ていたこともあり、1月から3月にかけて「図書館はいつでも行けるし…」と言い訳してはコートに出る日が多かった。チェンライの乾季はまるで高原の初夏のようにさわやかだ。何が悲しくて図書館に籠らないといけないのか。

日本にいた時、雨季にタイを訪れることが多かった。というのは雨季のホテル宿泊代は乾季の半額、航空券も安い、また休暇のとりやすい時期が雨季と重なっていたこともある。雨季といっても1日中雨に降られることはまれであるし、果物も豊富で決して旅行に適していないわけではないが、やはり乾季に旅行客が多くなるのには理由がある。

タイに来ていなければ、ラオスカンボジアには旅行しなかったことと思う。両国は政治的、経済的に中国の影響を強く受けている。ネットや本で得られる知識とは別に、街の佇まいや中国語の看板、市場で売られているものをまのあたりにすると中国の浸透ぶりが肌で感じられる。そんなことを肌で感じたからといってどうなんだと言われても困るのだが、これが好奇心というものである。今年はベトナム、そしてミャンマーの街をそぞろに歩いて中国とインドシナの関係を考えてみたいものだと思った。せっかく行くのであるから、コストは高くても涼しくて爽やかな乾季に行きたい。それくらいの金と時間の工面に費やす情熱はまだあるといえる。

■ちょっと中国へ
まず、ミャンマーに行こうと計画したが、この国は基本的に外人の入国を好まないようだ。ビザを取得するのにバンコクに3日ほど滞在しなければならない。陸路で行くことは不可能である。ビザなしでは航空券が買えない。思い立ってすぐにはことが運ばないようだ。

チェンライから180キロ離れたチェンマイまで行けば、ベトナムホーチミンハノイ行きの航空便がある。陸路バンコクに出て、カンボジア国境のアランヤプラテートからプノンペン経由、バスでホーチミンに行くことも可能だ。

などと考えているうちに、香港は別にして中国にはこれまで足を踏み入れたことがないことに気付いた。観光はもちろん仕事でも行ったことがない。地図で見ると近いし、ひとつ雲南省に行ってみるか・・・そう思うと、チェンライの国道を走るVIPバスを見るたびに、落ち着かない気分になってしまう。

・・・・・予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、プーケットパタヤ海浜にさすらへ、 去年の秋チェンライの破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に唐土(もろこし)の関こえん と、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず・・・・・・

初めて中国本土の土を踏んだのは2011年3月の初めのことだった。


写真上から、
「タイ側からみたラオスとの国境」
「チェンコン行きのローカルバスの車内」
ラオス側、ボーデンのイミグレ」
「中国側、モーハンのイミグレ」