チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス旅行 16

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ラオス旅行(16)

ラオスからタイへ
昨晩は満月の月明かりの中、ムアンシンからルアンナムターの山道を下ってきた。街に到着したのは10時頃だっただろうか。お互い、写真送ってね、これから楽しい旅行をね、と挨拶し、メルアドの交換を行ったが、中国女性の一人はさよならも言わずに姿を消していた。残った一人が、彼女、疲れているものでお先に失礼しました、と言い訳していた。中国人が全員無礼、ということではないようだ。

さて、今日はラオス旅行の最終日、ルアンナムターから国境の街フエサイに戻り、その日のうちにチェンライの自宅に戻る。
街の中心から数キロ離れたバスターミナルへソンテウで送ってもらう。途中、右手にルアンナムター空港と滑走路が見えた。週3回ビエンチャン行きの便がある。ラオスは鉄道や道路が整備されていないので、都市を結ぶ交通手段が飛行機となる。但し、この便は乗客が少ないと自動的にキャンセルされるという条件付きだ。マンフレッド夫妻が予定通りビエンチャンに飛べればいいが。

バスターミナルに着くと20人乗りのミニバスが止まっており、おにぎりのようにぎっしりとファランが詰まっている。中の一人がオーイ、言うので見てみたらアランだった。彼と会うのはこれで3度目だ。最後部、補助席が一つだけ席が空いていた。自分が座ると同時にバスが動き出した。皆、自分の到着を待っていたらしい。

■野外トイレ
ルアンナムター、フエサイ間は200キロ足らず、4時間の行程だ。バスはやがてデコボコ道にさしかかる。道路の陥没部分に車が突っ込むと、最前列のファランがまず飛び上がり、順次飛び上がっていって、最後に最後尾の自分が飛び上がって尾てい骨を座席に打ちつける。あまりのことに乗客からは笑いが出る。笑うしか仕方がない。

突然、バスは道の真ん中で停車した。ティッシュを持ったフランス女性が猛然と飛び降りる。トイレ休憩のようだ。女性に続いて、皆だらだらとバスを降り、炎天下、男は道の端で、女性達がブッシュに身を隠して用をたす。そういえばルアンプラバン行きの夜行バスも深夜何もない道の真ん中でトイレ休憩したなあ、と思い出した。まあ野外トイレは清潔といえる。(写真いちばん上)

ウズベクのトイレは普通の日本女性ならば、出るものも出なくなるほど凄まじいものがある。ウズべクは、一度は行くところではあるが二度と行くところではない、といわれる理由の一つにトイレ事情があるのは間違いない。観光立国を標榜するのであれば、ラオスのように野外で用を足すほうがまだいい。と書いたところで、ウズベクでヌクスからモイナックまでバスで移動したとき、道路の真ん中でトイレ休憩があったことを思い出した。ほとんどさえぎるものがなく、塩気を含んだ砂漠にはところどころに灌木があるだけ。道路から何百メートルも歩き、わずかに身を隠せるだけの灌木の陰で女性が用を足していた。場所によっては道路と砂漠だけ、地平線の続く限り見事に何もないところもある。ウズでは野外トイレとなる場所を見つけるにも困難が伴う。

■フエサイで食事
何とか昼過ぎにフエサイのバスターミナルに着いた。アランが、こないだお前が言っていたメコン河沿いのレストランはうまいのか、という。えー、昔のことで忘れてしまったが、たしかホテルの推奨で行った覚えがあるから、そう悪いところじゃないだろう。二人で昼食をとることにした。
フエサイのイミグレから歩いて5分ほどのところにあるレストランは、この街で唯一白いテーブルクロスを使用している。高級店といっていいだろう。午後の日差しが川岸に張り出したテラスに注いでいる。まずはビヤラオを一杯、再会を祝す。昨夜は飲めなかったのだ。アランはちょくちょく、北タイ、ラオスを訪れて、少数山岳民族の写真を撮り歩いている。あとで彼の写真をメールで送ってもらったが、プロといってもいい腕前だ。
彼にアカ族のブランコ祭りの話をし、次回の祭りに彼を案内することを約束した。

ところでアラン、今日の昼飯は奢らせてくれ、自分にはそうする理由があるんだ。あんたに教えてもらったおかげで満月祭りに行けた。あんたも会ったマンフレッド夫妻が祭りに行けることを喜んで晩飯を奢ってくれた。そのお返しをしようと思ってね。
アランは快く自分の申し出を受けてくれた。食事のあとフエサイからチェンコンに渡ったが、渡し舟の船賃を彼が払ってくれた。固い握手で再会を約し、チェンコンからバスでチェンライへ。丁度自宅前を通ったのでそこに臨時停車してもらった。5泊6日のラオス旅行はいくつかの出会いを得てこうして終了。
(この項終り。本人もやっと終わりになってホッとしています)

写真二番目はバス内部、その下は船着き場、下はメコン

皆様

このたびの東日本大震災の被害にあわれた方々、関係の方々に心からお見舞い申
し上げます。

原稿の書き溜めができたので、旅に出ており、今、中国、昆明におります。ちょ
うどてん池(てんはさんずいに眞)のほとりにいるときに案内してくれていた友
人の携帯で第一報を知りました。友人のアパートにとって返し、情報収集、中国
電視台もずっと特別報道を続けています。繰り返し、大津波、火災、原発の爆発
の映像を流しています。被害の甚大さに息を呑むばかりです。何もできなく心苦
しく思っていますが、きっとこれから日本の底力で、困難を乗り超えていけると
信じています。

雲南の盈江でも地震がありましたが、雲南だけで日本と同じくらいの広さがあり
ますので、昆明は何もゆれませんでした。私は本日空路昆明からチェンマイに戻
ります。

余震が群発していると聞いています。皆様のこれからのご無事を心よりお祈りし
ております。

昆明にて
中西英樹