チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス旅行 15

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ラオス旅行(15)

■市場を歩く
夕食のあと、レストランの近くにある市場に行った。タート・シェントゥンの丘は照明設備がないので、露店がこの市場に移動してきているらしい。
市場は比較的狭い場所に焼き鳥、串焼、揚物、果物、雑貨、手織り布、布バッグなどたくさんの店がひしめいている。この風景はチェンマイやチェンライのナイトバザールによく似ているが、何かエキゾチックで懐かしい感じがする。それは行きかう人々が着飾っており、子供たちもいくらか興奮していていかにもお祭りという感じがするからだろう。特に女性のロングスカートがしとやかでよろしい。またタイの市場に比べ、灯りが非常に暗い。一店あたり、10燭光くらいか。昭和30年代の日本の縁日もこれくらいの暗さではなかったか。

タイのナイトバザールでは呼び込みや音楽など、うるさいほどの雑音で一杯だが、この市場ではあまり売り子の声は聞こえない。それにタイの市場では当たり前の物乞いがいない。チェンライでは盲目の物乞いが楽器やカラオケのCDで歌を歌いながら、市場を練り歩いているのが普通だ。
ルアンプラバンでも朝市やナイトマーケットで皆ひっそりと野菜や雑貨を売っていた。市場はタイのバザール並みかそれ以上の人出であるが、ラオスの市場はいわゆるアジアの喧騒とはかけ離れた落ち着きが支配している。セイダが写真を撮ってもいいですか、と売り子に聞くとあからさまに拒否はしないのだが、恥ずかしがって下を向いてしまう。ベトナム人は稲を植える、ラオス人は稲の育つ音を聞いている、というラオスの人々の静謐さ、穏やかさを改めて思い出した。

■子供カラオケ大会(写真中)
市場の一角に子供がたくさん集まっている。子供カラオケ大会のようだが、マイクの前の女の子が困ったような顔をしてなにも歌わない。司会の人が何やら話しかけている。女の子は言葉少なにに何か答えている。どっと笑い声が起きて女の子は粗末なノートと鉛筆を1本貰って観衆の中に戻っていった。子供たちのうれしそうな顔は、紙芝居に集まった幼い時の自分や弟、近所の子たちを思い出させた。ラオスは子供の数がやたらに多いが、今日はお祭り、夜、外に出てもいいよ、と言われているのかそこらじゅうに子供がいて、暗い市場を走りまわている。ノーネーン(子供の坊さん)の数も多い。親や住職から10円くらいの小遣いを渡されているのだろうか。お菓子と手元のお札を見比べている子、串焼をかじっている一休さんもいる。

外国では街を歩いていても、公園で新聞を読んでいても面白い。非日常的な環境がすべての感覚を刺激するからだ。ムアンシンの市場はタイの市場を歩きなれた自分にとっても、どこか心楽しく、それでいてしっくりくるものがある。うまく表現できないのだがラオスはやっぱりいいねえ、と呟いてしまう何かがある。

■南京豆とモミジ
セイダが、あれは何?とタート・シェントゥンの時から言っていたものがある。茹で南京豆だ。茹で南京豆はトウモロコシや枝豆と同じく、採りたての新鮮なものでないと美味しくない。この時期は南京豆の収穫期で、どこでも地面に布を広げて南京豆を売っている。1袋10円だったので、彼女にプレゼントした。殻付きの南京豆は初めて見たとのこと、早速食べてみて、あら、栗と同じような味がする、これが本当にピーナッツなの、と驚いている。10円でこんなに喜んでくれる西欧婦人もめずらしい。

鶏の足、モミジという部分を串焼にして売っている店があった。中華料理ではこのウロコだらけの足を甘辛く煮たものが出てくる。足が虚空をつかんでいるようでちょっとグロテスクであるが軟らかくなったウロコ部分がうまい。妙齢の女性がこのモミジを齧り、ビーズによく似た関節の玉をぷっぷっと吐き出しているのを見たことがある。
あの部分はお国でも食べますか、いいえ、日本では? スープのダシを取るのに使うくらいです、じゃ、オーストリアと同じね、などと話しながら市場の出口に着くと、なんとマンフレッドがモミジを齧っているではないか。セイダが、まあ、あなたったら、それ召し上がっているの、とうれしそうに笑った。退職判事は恥ずかしそうな、また得意そうな表情でちょっとおどけて見せた。二人はまるでハイティーンのカップルのように楽しそうだった。年をとっても仲のいい夫婦はいいものだ。幸せそうな二人を心から羨ましく思ったが、これは自分の個人的感傷が混じっていたからかもしれない。(続く)