チェンライの年末年始
■暮れの風景
12月といっても年がら年中、Tシャツに短パンの生活であるから、あまり季節感を感じない。やはり木枯らしにコートの襟を立てて、オー寒い、といわなければ師走の感じは出ない。一年中出回っているのだが、12月は一番スイカが美味しい時である。食後はいつもスイカを食べている。空には燕が飛び交っているし、トンボもスイスイ飛んでいる。11月に米の刈り入れは終わっているので明るく広い田んぼが広がっていた。ところがこちらは3毛作も可能な土地柄である。12月になると田んぼに水がはられ、早いところでは田植えが始まった。日本は食べ物、風景にけじめがあって季節の移ろいが実感できるが、ここチェンライでは何を持って季節の変わり目とするのか・・・・。
■夕日を肴に忘年会
暮れのイベントとして忘年会がある。チェンライは君子の交わりは水の如し、という人が多いから、公式の忘年会はソフトボールチームの仲間との宴会一回だけだった。兄と飲むことはあるが、家で飲んでいても仕方がない。メコンに沈む夕日を眺めながら二人で忘年会をしようじゃないか、と話がまとまった。メコンに沈む夕日を見るためには対岸のラオスに行く必要がある。
チェンライから国境の街チェンコンまでは140キロ、バスで2時間半の距離である。1時間に1本ほどローカルバスが出ている。刈り入れの終わった田んぼを左右に見ながらのんびりとしたバス旅行。車掌さんが同乗しているがお金の授受をするだけでキップはくれない。代金は65B(180円)。チェンコンの市場がバスの終点、ここから川沿いの出入国事務所までソンテウで30B。タイの出国手続きは5分もかからない。ロングテールの渡し舟で国境のメコンを渡る。舟賃は40B。対岸のフエサイで入国手続きをする。タイもラオスも出入国手続きは無料。
フエサイにはゲストハウスがたくさんある、というよりゲストハウスしかないのではないか。1泊10砲離曠謄襪悄△海譴任盥發い曚ΑM曚傾くのを待って宴会開始。白いテーブルクロス、フエサイでも高級とされるレストランだ。4,5皿の料理とビヤラオを注文、真っ赤に夕陽に染まる川面を眺めながら飲む。兄弟であるから特に面白い話題があるわけではない。「こういうところに女の子を連れてきて奢ったら、少々嫌いでも好きになってくれるのではないか?」、「まあ無理だろうな」・・・・・年を重ねてもこの程度の会話しかできないのは情けない。
外国へ泊まりがけの宴会旅行、費用は、総額3000円程度、安いといえば安いが高いといえば高い。
■タイの正月は3回
タイには3つの正月がある。まず日本と同じ1月元旦、2番目が旧正月、今年は2月3日、この日は中華系タイ人の間では大いに盛り上がる。3番目が4月13日から15日のソンクラン、水掛け祭りとして知られ、これがタイ人にとって正式の正月だ。
1月の正月はそれほどお祝いをしないといっても大晦日から1月3日まで連続4日間が国民の祝日となっている。タイは仏教国であるが病院やスーパー、街角にはクリスマスツリーが飾られる。ツリーにはメリークリスマスと一緒にハッピーニューイヤーと書いてあり、クリスマスの飾りがそのまま新年になだれ込む。どうも締りがない。
「明けましておめでとう」はタイ語で「サワディー・ピーマイ」という。サワディーはもともと「吉祥」を意味するサンスクリット語らしい。ピーマイは「新年」の意味。ところが12月末からテレビで「サワディー・ピーマイ」と言っている。カウントダウンを見物に大晦日、チェンライ市の目抜き通り、パンプラカン通りへ行った。まだ年明けに3時間も4時間もあるのにステージでは「サワディー・ピーマイ」を連呼している。紅白歌合戦の最中に「新年おめでとう」とは絶対に言わないだろう。どうもタイはケジメがない、と思うのはまだタイの生活に慣れていない証拠か。
元旦はお雑煮と日本酒で年の始まりを祝った。餅は日本人会の餅つき大会で頂いたもの、日本酒は日本からのお客さんのお土産だ。今年もいろいろなことにぶつかりながら、そしていろいろな人に助けてもらいながら暮らしていくのだろう。
「旧年中は大変お世話になりました。今年もどうかよろしくお願いします。遠くチェンライより皆様方のご多幸をお祈りいたしております」と遅ればせながら年頭のご挨拶を申し上げます。
写真一番上がメコン川、ビールのブランドは「ビヤラオ」、
他の写真はチェンライの街中で行われているカウントダウンの様子。