チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ1年9ヶ月

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介護ロングステイ1年9ヶ月

■季節の変わり目
タイの観光シーズンというと10月から3月までの半年間である。その時期はハイシーズンといってホテル料金が50%から100%高くなる。ローシーズンであっても1日中雨が降り続く日はそれほどないから、観光に不向きというわけではない。4月、5月は暑いけれども、そのおかげでライチやドリアンといった南国のフルーツが一斉に出回る。タイにはいつ来ても見るべきものはあり、美味しいものはある。ともあれ、ハイシーズンの10月になったのに今年は雨が、それも朝夕に降る日が多く、テニスに行けない日が多かった。昨年もハイシーズン到来と意気込んで、10月初めにスコタイに出かけたのだが雨に降られた。それでも公園内を貸し自転車で廻る間は曇っていたし、他に観光客がほとんどいなかったおかげで却っていい時間を過ごすことが出来た。
本当に乾季がやってくるのは、10月末の満月の夜、「オークパンサー」を過ぎてから、と言われる。オークパンサーとは安居明け、8月の雨季の始まりにお寺に篭ったお坊さんたちが修行を終えて出てくる日だ。

やはり、季節の変わり目なのだろうか、10月末に母が少し体調を崩した。いつもは甲高い声で叫んでいるのだが、がらがら声になり、咳き込む。熱が37度以上あるが、食欲はそれほど落ちていない。オイさんがお匙で口に入れるから自動的に飲み込んでいるのかもしれないが。
夕方にテニスをしたあと、タイ人の仲間に誘われ、飲みに行った。ゲストハウスの開所式だという。新築祝いはタイの冠婚葬祭の中では大きな位置を占める。初めての宿泊客であるフランス女性などと飲んで、家路に着いたのが9時過ぎだったろうか。車の中で携帯が鳴った。「ママさんの様子がおかしいからすぐ帰って」。

■吸引器
ベッドに座った母を女中さんが支えている。咳をし、痰が絡まっているのだが、口から出せずに苦しそうだ。老人性肺炎は唾液が肺に入るだけでも引き起こされるという。
病院には連絡してあるから、といわれ、シブリン病院の救急外来へ運び込む。看護師さんがアスピレ-タ-のチューブを喉に突っ込んで痰を取ってくれた。
入院も3度目ともなると慣れてくる。個室には簡易ベッドが運ばれてきて、自分がそこに、ソファセットで女中が寝る。母は点滴の睡眠薬が効いたのか翌日の11時まですやすや眠り続けだった。
医師の「まあ、肺炎の心配もありませんし、咳止めを出しておきますから」の安全宣言で翌日の昼過ぎに退院。3人泊まって一泊二食付きで費用は5千バーツほど、このうち9割は健保で戻ってくるが、入院などしないに越したことはない。

喉に絡まった痰を取るアスピレーターはなかなかの優れモノだ。ブアも感心したと見えて、1万バーツ位だから買いに行きましょう、と退院したその日に医療用具店に行った。タイの田舎といって馬鹿にしたものではない。ちゃんと日本製の電動アスピレーターがあった。定価8500バーツのところ7500というのだが、事情を聞いた店の女主人は、とりあえずこれにしなさい、と大型ゴムスポイトを取り出した。値段は130バーツ(350円)。現在、ベッドでも食卓でもトイレでも電気コードのないところでこのゴムスポイトは大活躍している。

■何時まで母と・・・
時折、日本から見学の方が来られる。起きていれば母もそれなりにお客さんに御挨拶をする。母にとっても刺激になっていいのではないかと思う。母はダブルベッドに寝ている。その横にシングルベッドがあり、女中さんがここで寝る。時には女中さんと母が抱き合って寝ている。日本の施設のベッドは寝返りもうてないほど狭いという。その点、母のベッドは広いので、自分も母に添い寝して、話を聴いてやれる。お母様は幸せですね、日本のどこの施設でもこれほどいい介護環境はありませんよ、とある特養ホーム経営者の方が言ってくれた。
母が幸せであるかどうかは分からない。タイにいるかどうかも定かではないようだ。それでも外国にいる、ということは理解しているようで、「女中さんが英語を話すので困るんだよ」とこぼしていたこともある。「この人が新しい女中さん」と紹介したら。手を差し出して「ハウ・ドウ・ユードゥ」と言って我々を喜ばせてくれたこともある。

今は昼でも寝ていることが多い。寝覚めた時、取り留めのない話に相槌をうつ。こうして母と過ごせることは少なくとも自分にとっては幸せなことだ。
「どういう状態であっても、お母様と一緒に居られる時を大切に、また幸せに思って下さい。私にはそうしたくてももう母はいないのです」という知人の痛切な言葉が胸を打つ。

写真上は母のベッド、下はゴムスポイト