チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ブランコ祭り

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ブランコ祭り

■囲炉裏のあるアカ家屋に泊まる
アカセンターの敷地内にはアカの伝統的民俗家屋がいくつかあって、そこがゲストハウス(画像)となっている。A先生と自分が泊まったのはその一つ。高床式、入母屋作り、階段を上るとサラと呼ばれるテラスがあり、その横に部屋の入り口がある。部屋の中は10畳以上の広さ。中央に囲炉裏が切られている。床、壁は竹製、屋根はかやぶきで入母屋の垂木が合わさる部分は吹き抜けとなって、囲炉裏の煙が抜けるつくりとなっている。
囲炉裏を挟んで部屋の半分が10センチほど高くなっていて、ここに布団が2つ敷かれていた。床は竹板でできているから歩くたびにギシギシと音がする。曲者が侵入してきたらすぐ分かる。昔読んだアカ族探訪記に、室内でつばを吐く男が出てきたのを思い出した。ペッ、ペッと吐くそのつばが過たず、竹の格子の隙間から床下に飛んでいくのを著者は驚嘆のまなざしで見ていた。またアカの子供が床に張られた竹の格子を押し広げて用を足す、すると床下にいる豚が落ちてくるご馳走を処理するという究極のエコ生活も紹介されていた。
大昔は山にトラが出没して大事な家畜を襲うことがあり、家畜を床下に囲って守ると言う意味もあったのだろう。

蚊がいるでしょう、とアトゥが簡易式の蚊帳を持って来てくれたついでに、囲炉裏の火を熾してくれた。部屋の隅にあった萱に火をつけると小枝から太い薪へと火を移していく。部屋の中は囲炉裏から立ち上がる煙の懐かしい香りで一杯になった。「あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣り火ふすぶるもあはれなり」。
「燃え立ちて顔恥ずかしき蚊遣りかな」という蕪村の句もある。A先生が同室ではそれほどロマンチックな気にはなれなかったが、じっと囲炉裏の火に見入っていた先生も同じ気分だったに違いない。

■一旦チェンライへ戻る。
前夜はテレビクルーとアトゥを相手についつい飲み過ごしたが、守護精霊のパワーアップのおまじないが効いたせいか二日酔いにもならず爽やかな目覚めだった。食堂のテーブルでお茶を飲んでいると、レポーターのチャーがいたずらっぽく「サバーイ・マイ(ご機嫌如何?)」と聞いてきた。昨夜は単なる酔っ払いおじさんだったのだろう。山の朝は寒いくらい、彼女は民俗模様の布をマフラーにしている。とてもシックだ。こんな美女に朝から親しく話しかけられれば「サバーイ、サバーイ(元気、元気)」と言わざるをえない。
「今日からブランコ祭りが始まるんだがなー、今夜は歌と踊りがあるんだよ」とアトゥは残念がったが、この日に日本へ帰られるA先生と一旦チェンライに戻らなくてはならない。道は分かったし、彼の勧めにしたがって翌朝8時半に出直すことにした。
ブランコ祭りは8月末から9月始めにかけての4日間、12支の水牛の日から始まる。必ずしも水牛の日と決まっているわけでもないらしく、例えば村長の誕生日と合わない(風水のようなものらしい)ときは1,2日ずれることがあるそうだ。

■ブランコ祭りのいわれ
この祭りについてアカには次のような言い伝えがある。  
かつて、森の世界には、さまざまな民族が住んでいた。これらの民族は万物の創造主であるアポミエが作ったものである。しかし皆男ばかりで女はいなかった。ある日、アポミエがそれぞれの民族の男たちを呼んで、配偶者を与えてくれた。しかし、アカ族の男達は神様のところに到着するのが遅れたので、女を与えてもらえなかった。
 アカ族の男たちは、森の中を、女を求める歌を歌いながらさまよった。そこでみつけたのが、森に住む妖精であった。(妖精たちは森でブランコにのっていたという話もある)男達はこの妖精を村に連れて帰り、自分達の妻としてめとった。女達はなにも衣装を身に着けていなかったので、男達は木の葉で作った短い腰まきを女達につけさせた(これがアカ族の女の短いスカートの由来であるといわれる)。しかし女たちは、最初のうち、男と一緒に寝ようとせず、たびたび森に逃げ帰ってしまった。男達が神様のところに相談にいくと、神様は「彼女たちは、精霊であって、人間ではないから、男と一緒の部屋で寝ることはできない。もうひとつ部屋を作って別々に寝なさい」とアドバイスした。これがアカ族の家がいまだに男部屋と女部屋に別れていることの由来であるという。今でも一家を構えたアカ族の男性は、妻と一緒に朝まで床をともにすることはない。男達は妖精であった女達への慰安の意味で、年に一度ブランコを作って女達に遊ばせるようになった。これがブランコ祭のはじまりであるという。(続く)