アカセンター
■メーサロンのアカ村
アカセンターには先客が4人いた。チェンマイのテレビクルー(上から2番目)で数日に渡ってアカ族の村を訪ね、ドキュメンタリーを作っているとのこと。お茶もそこそこに彼らと近くの山に登った。前日からの雨で道はぬかるんでいたが、ジープなのでそれほど心配はない。
山の上からメーサーロンの山が一望できる。山の向こうはミャンマーだ。(写真上)山の中腹に張り付くようにいくつか村が見える。アカ族は20-100戸の集落を作って住む。焼畑農業であるから生産性は低く人口に比して広大な農地が必要であるから、自然にある程度の規模の村を作っていくのであろう。アトゥの説明によるとこのあたりに住むウロアカがタイに移住してきたアカ族の嚆矢だという。それでも19世紀終わりごろのことらしい。アカ族は通常ウロ、ミロ、ウビヤ、チョブの4つに分類される。他にアジョ、パミ、アクなど数部族に分かれる。少しずつ言葉やコスチュームが違うというが、どう異なるかはまだ自分にはよくわからない。
ここに住むアカは100年近く、この山から見える範囲だけで暮らしていた。山を越えるとマフィア、中国から逃げてきた国民党軍、そしてタイ警察、タイ軍等に襲われ、撃ち殺されても文句は言えなかった。彼らに国籍やIDカードが与えられたのはここ30年ほど前のことである。IDカードがないということは教育、医療のサービスが受けられず、土地の所有、免許の取得はできず、更には移動の自由のないということを意味する。現在でも少数山岳民族に対する差別はある。
■アカセンター
アカセンターは山の斜面に大小数棟のアカ様式の建物がある。100人は入れる吹き抜けの建物やアカの民具を集めた民芸館、ゲストハウス,蒸し風呂まである。点在する施設の間には村の結界を表すロッコンという門(日本の鳥居に当たる)や男女の木像、ブランコなどアカの文化を象徴するものが展示されている。この施設ではアカの子供たちが合宿して先人の文化を学ぶ。
1000坪を越えるかと思う敷地には果樹やハーブなど22種類の植物が植えられている。アトゥが一つ一つ、これは胃の薬、これは利尿薬となる、と説明してくれた。(3番目)ハーブ系統の草が多い。昔は病気やけがをしても病院に行くことはできなかったから、こういった伝統の薬草で治したのだろう。バナナも植わっていたがこのバナナも普通のものとは違って、外傷、特に銃創によく効くのだそうだ。アトゥは説明のたびに葉っぱや草をちぎって香りを嗅がせてくれる。見学者が多くなるとちぎる量が増えて貴重なハーブがなくなってしまうのではないかと心配になる。
アトゥが多種類の作物を育てているには訳がある。アカ族の農業は通常山の斜面に陸稲や玉蜀黍を栽培するモノカルチャーだ。種を蒔いたらあとは雨だけが頼り、手をかけない。それでも最近は肥料や農薬も使うようになった。お金は掛かるし、化学肥料は土地を硬くする。アトゥは「作物のスーパーマーケット」と称して換金性の高い作物の混栽モデルを作ろうとしている、農業でお金が稼げ、かつ土地の生産性を落とさない方法を指導しているのだ。アカ族には市販の有機肥料はなかなか買えない。アトゥはアカ族のためにセンターの一角に腐葉土、牛糞、焼成モミガラから作る有機肥料製造所を作っていた。
この多品種栽培の試みは昨年始めたばかりである。知り合いの農家3軒が試験的に生姜、レモングラス、トマト、薬草等の多品種栽培を行っている。これで収入が上がることが実証されれば、これに倣う農家も増えていくだろう、とアトゥは楽観的だった。
■アカのおまじないで歓迎
夜、竹で編んだ小さなテーブルが出てきた。鶏の丸焼き、ゴハン、塩、ゴマがのっている。テレビクルーと我々合せて6人分の食事にしてはしょぼいな、と思っていたら、アカの正装に身を固めたおじさんが現れた。ジョエマー、あるいはボエマーと呼ばれるアカの聖職者だ。遠くからやってきた客人を歓迎し、客人を守る精霊がパワーを増すためのおまじないをしてくれるのだという。彼は鶏肉、もち米、ゴマを対面する人の掌にひとつまみずつのせてなにやら単調なアカの祝詞を上げた。祝詞が終わると掌のものを食べるように言う。次に呪文を唱えながら右手首に黒い糸を二巻きして腕輪を作り、木の実でできた60センチほどの首飾りをかけてくれた。その模様をテレビカメラが追う。この儀式を6人分やったので、夕食が始まったのは8時を過ぎていた。(上から4枚目・一番下)
チェンマイのテレビクルーは若い人ばかり、またレポーターの女性がなかなかの美人。ラオカオにすっかりいい気持ちになって、アカと日本の同質性を講義した挙句、次は日本人はアカ族だったというドキュメンタリーをつくったら、などと言ってしまった。ディレクタがアトゥにアカ語と日本語の共通点を確認していたから、そのうちチェンマイのテレビで日アカ同祖論が紹介されるかもしれない。