混迷するタイ政治情勢
5月13日にタイ政府緊急事態回復センターは、4月7日付1都5県を対象とした「非常事態宣言」チェンマイ、チェンライなど北部4県を含む1都16県に拡大した。バンコク周辺だけと思っていたが、反独裁民主戦線(UDD)と政府との対立抗争はチェンライにも飛び火するのか。13日にはUDDの武闘派リーダー、カティヤ少将が狙撃された。
14日の読売新聞は、「タイ騒乱、日本大使館も14日午後から閉鎖へ」と題して次のように伝えている。
タイの治安当局は14日、首都バンコク中心部を占拠するタクシン元首相派「反独裁民主戦線」(UDD)と治安部隊との間で13日夜起きた衝突で、UDD側デモ参加者1人が死亡、8人が負傷したと明らかにした。
死亡したのは男性で、頭部に銃撃を受けたという。占拠された中心部一帯のルンピニ公園付近では、デモ隊と治安部隊の小競り合いが夜通し続いた。
一方、13日夜に頭部を撃たれ、意識不明の重体となったUDD幹部の一人、カティヤ・サワディポン陸軍少将について、治安当局は「調査中」として詳細を明らかにしていない。別のUDD幹部は13日夜、少将銃撃後の記者会見で「最後まで戦う」と述べ、占拠を継続する考えを強調した。
カティヤ少将は、公然と軍首脳批判やタクシン氏支持を繰り返したため、軍では停職中。UDD内では占拠継続を主張する最強硬派で、ロイター通信の村本博之さんが死亡した4月10日の騒乱で退役軍人らを指揮し、治安当局に応戦したとされる。さらに、バンコクで発生した複数の爆発事件などへの関与も指摘されている。アピシット首相は9日の定例テレビ演説で、少将を「和解を妨害するテロリスト」と非難していた。
タイ政府はバンコクと周辺に発令していた非常事態宣言を、タクシン派の地盤である北部、東北部など15県にも適用。AP通信によると、当局は、占拠された一帯への電力供給、携帯電話サービスを一部停止した。この一帯にある米国、英国、オランダなど各国の大使館は一時閉鎖を決めた。
日本大使館も14日午後から一時閉鎖する方針。(引用終わり)
14日に見たタイの新聞にはカティヤ少将のぽかりと口を空けた血だらけの顔写真が1面トップに掲載されていた。
タイの政治混迷をちょっと振り返ってみたい。
2006年以降,タイではタクシン元首相を支持する勢力と同元首相の政治手法に反対する勢力との間で対立が続き,一方の勢力による政権に対し,もう一方がデモ活動を行う状況が続いてきた。2008年にはタクシン派政権に対し,PADが半年以上にわたる反政府デモを行い,過激化したデモ活動は首相府及び空港の占拠に至った。
その後,2008年12月に反タクシン派政権であるアピシット政権が成立するとUDDが反政府運動を開始し,2009年4月には,パタヤでのASEAN関連首脳会議会場の占拠,バンコク都内複数か所の道路封鎖などを伴う大規模な反政府デモ・集会が発生したほか,現政府支持勢力であるPAD幹部の乗車する車両が銃撃され,同幹部が重傷を負うという事件も発生した。
2010年3月12日からUDDは再び大規模デモ活動を展開しており,タイの経済及び都民の生活に多大の影響を与えている。これを受け,政府は4月7日,バンコク都および周辺地域に非常事態宣言を発出した。4月10日には,パンファー橋から民主記念塔の先まで広がるデモ隊と軍との間で衝突が起こり,邦人ジャーナリスト1人を含む25人の死者と840人に及ぶ負傷者を出した・・・・
15日にはルンピニ、ラマ4通りなどバンコク市内で銃撃戦が行われ、まるで内戦のような状況だったらしい。チェンマイ総領事館からは1日3回もデモ情報のメールが来る。15日はバンコクの地下鉄、高架鉄道は全線運休している。東京で営団地下鉄と山手線が運休したくらいの大騒ぎである。
日本政府は注意喚起を「渡航の是非を検討して下さい」に引き上げているため、多くの企業ではタイ出張を控え、大手旅行会社でもタイツアーを中止している。政治的、経済的にタイの信用はガタ落ちだ。
これからどうなるのだろうか。対立は根深く、国王ならびに89歳になる政府の黒幕プレム氏、あるいはタクシン氏が亡くなるまで続くという人もいる。逆に武闘派急先鋒カティヤ少将が倒れたため、UDD強硬派が失脚し、事態は好転するのではないか、という人も居る。
そろそろ雨季が来て田植えが始まるから、アルバイトのUDDデモ参加者が田舎へ帰る、だから抗争は終息に向かうという人も居る。UDDのデモ参加者の日当は今、1日1000バーツに跳ね上がっていると聞く。危険ではあるが米を作っているよりは実入りがいい。個人的には抗争は長引くような気がする。
画像の赤い花はチュンポー(火炎樹) ピンクはジョローという名前の花です。