パナセリ支援 3
A先生から50万円が振り込まれてきたことから、アカ族の村、パナセリの保育園建設支援に関ることになってしまった。自分は支援とかボランティアにはほとんど不向きな人間である。何か寄付をしていたことがあるかというと、ユニセフのフォスターペアレントになっていたことがある。発展途上国の子どもの教育親となってその子が学校を卒業するまで、年間6万円を振り込むという制度だ。時折、子供やユニセフ関係者から手紙が来た。自分の教育里子は、タイ東北部に住む男の子で、将来は警察官になりたいと言っていたがどうなったのだろう。
ユニセフのあとは義父の関係していたチベット難民支援活動に同額を支払っていた。退職後も収入に応じていくばくかの寄付をしていたが、まあ恵まれない人への支援と言えばこの程度である。赤い羽根は町内会で回ってくる分と、街で女子高生が「赤い羽根募金、協力お願いしまーす」と声を張り上げていれば、その中で一番可愛い子の前に行って羽をつけてもらうくらい、それも100円だ。
JICAのシニア・ボランティアに応募したとき、提出書類に「これまでやったボランティア活動」を書く欄があった。また面接のときもボランティア活動の内容について聞かれた。町内会の役員も逃げ回ったし、児童公園の清掃にも参加していない。でも受験戦争を乗り切ってきた団塊世代の人間だから、肢体不自由児をドラゴンボートに乗せるイベント参加や区役所が主催するボート試乗会の手伝いをしたことなどをあつかましくも実績のように喋ってしまった。
こんな自分であるが、あまり人がやりたがらないことを率先して引き受け、みんなに喜ばれる、という経験をしたことがないというわけでもない。現役の頃、花見、歓迎会、送別会、同期会など宴会というと幹事をやっていた。集まる人数と顔ぶれを見れば酒、料理の目算がついた。若い頃は自分を基準に考えていたので、中西のやる宴会は料理に比べて酒が多すぎるというクレームがついた。しかし、批判には謙虚に耳を傾け、その後は限られた予算内で皆さんにいつも満足してもらったものだ。でも、いくら無償の奉仕活動であっても宴会の幹事はボランティア活動の実績にはならない。
JICAのシニア・ボランティアとして2年間、ウズベキスタンで教職についた。が、あれはボランティア活動とはどうしても思えない。SV仲間、JICA職員、ウズベクの学校関係者、生徒諸君、すべての人が不慣れな自分のためにいろいろ助けてくれた。してあげたことに比べて、自分がみんなからしてもらったことのほうが100倍くらい多いと思う。あれだけいい思いをし、ウズベク中を旅行し、いろいろな人の情けに接し、その上、日本政府からずっと滞在費、住居費が支給されていた。30年以上、まじめに天引きで税金を払い続けたご褒美に、政府が用意してくれたサバティカルリーブではなかったのか・・・
さて、パナセリの支援であるが、自分のお金であれば、アダムにお金を渡して「あとちゃんとやってね」ですむが、A先生のお金も入っている。書面による確認が必要だ。まず、村に行き、村人に寄付の主体、金額、趣旨説明を行った。アダムが契約書を持ってきたのはその1週間後のことであった。総額が38万バーツ。こういった寄付の場合、見積もりを貰う段階でどんどん予算が膨れていくのが常、と聞いていた。40万までは出します、という説明金額より少ない。初回10万、2回目10万、3回目に18万バーツと3回に分けて支払うことになっている。2,3回目の支払い時期に、終わっているべき作業内容が明記されている。契約書には保育園の図面とレンガの数、セメント何袋といった詳細な積算資料が添付されていた。タイ語のジアップ先生にあとで契約書と添付資料を見てもらったが、彼女も驚くほどしっかりしている。
結局、A先生が寄付を申し出てくれてから、1月で最初の寄付金10万バーツを渡すことができた。その間、2回パナセリに行き、アダムとは4回会っている。これからもパナセリに行くことが多くなることだろう。完全とはいえないまでも自分の目で進捗状況を確認しながら支払えることはいいことだと思う。
「お金を貰ってやるボランティアはボランティアじゃありません。それはブローカーですよ」。こう言うU先生は、個人のお金をつぎ込んで、タイの少数山岳民族に換金作物である梅の植樹活動を続けている。http://www.h5.dion.ne.jp/~dr_manao/
どうやら自分はU先生のいう「本当のボランティア活動」を初めて経験する機会に恵まれたようだ。
画像はアカ族の集落にて撮影。