チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

メーチャンタイ・ビレッジ

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メーチャンタイ・ビレッジ

アカ族の村、パナセリには何度か訪れている。そのたびに副村長のアダムの家に泊めてもらった。今、アダム夫婦はパタヤで働いている。ミャンマー国境の街、メーサイで仕入れた宝飾品を外人観光客に売っているのだ。質はよくないが本物のヒスイの首飾りや腕輪が仕入れ値の10倍以上で売れる。その利益でアダムは長男をメーサイ市内にある全寮制の中学校に通わせている。アダムは一週間後に村に帰省するという。彼と会えれば、支援に関する詳細な打合せが出来るだろう。

パナセリから更に3キロほど山道を登ったところに、メーチャンタイというアカ族の村がある。戸数は約30、村民は200人弱、そこにパヤップ師という40歳ほどの坊さんが住んでいる。
数年前、周辺のアカ族の人々が集まって、山の斜面の下草を刈る共同作業をしていた。お役人が視察に来るという。山は基本的に国有地だ。山岳民族は国有地をお目こぼしで使用させてもらっている。村人がせっせと働く中に黄色い僧服を着た僧侶がポツンと立っていた。作業が終わる時に「お払い」をするためだ。それがパヤップ師との出会いである。彼はメーチャンタイに一人で庵を結び、吹きさらしの本堂で子供達に勉強を教えながら、麻薬撲滅に取り組んでいた。

バイクに乗せて貰って山道を15分、メーチャンタイに着いた。寺までの急坂を歩いて登る。村の経済状態はパナセリより良くない。それは茅葺の家の多さや物干しに掛かる衣服が粗末であることから類推がつく。アカ村ではお金があると家の屋根を茅からスレート葺にするのが普通だ。竹の床と壁の家はさすがに少なくなったが、メーチャンタイでは傾きかけた竹の家を見ることができる。

初めてこの村に来た時はまだ電気が来ていなかった。蝋燭の灯った本堂へ真っ暗な山道を、懐中電灯を頼りに、子供達が登ってきたことを思い出す。今はタイ政府支給のソーラー発電設備が各戸にあるので、テレビくらいは見ることができる。

本堂に着いてみるとなにやら賑やかだ。ガイドツアーのブンさん(と50歳くらいのタイ人)が出て来て説明してくれた。タイ中部にあるナコンサワン仏教大学の学生20名ほどが、村の支援と交流のために2泊3日の日程で来ているのだという。昨日は学生達が持ち寄った古着が村人に贈られたそうだ。この日は食事をタンブンし、夜は本堂で学生と子供達との交流会があるとのこと。タイの学校は3月中旬から5月初めまでが夏休みとなるが、夏休み前には大学や高校でこういった慈善行事が盛んに行なわれるらしい。

パヤップ師と再会を喜び合い、数人の坊さんを紹介してもらう。ナコンサワンから来た彼の友人だ。体中に刺青のある坊さん(画像)がいてわざわざ背中の昇り龍の彫り物を見せてくれた。バンクーバーで3年ほどコックをしていたというだけあって英語がうまい。ガイドのブンさんは元妻がスイス人と結婚した、という縁を頼りにスイスに7年滞在した。だから英語よりもフランス語、ドイツ語のほうが流暢なのだという。タイ男性も結構、海外に雄飛しているようだ。

元コック、刺青坊さんの大奮闘で150人分の食事が学生、村人に振舞われた。麓から夕食を食べに来た村人は女性、子供ばかりでどういうわけか男性はいなかった。夜は本堂で村の子供、幼児から高校生まで約40人、それに仏教大学の学生20人が加わって、読経が始まった。読経の後、パヤップ師の法話。盛んに「サマーキー(団結)」と言っている。全員に配られたコップに水が注がれる。みながコップの水を坊さんの抱える大椀に注ぐ。師が一段と大きな声で「サマーキー」と言う。この奇妙な儀式が済むとお菓子とジュースが配られた。男子学生の弾くギターに合わせてみんな楽しそうにフォークソングを歌い始める。林間学校のノリだ。村の女の子は町の大学生に憧れているのか、皆楽しそうだ。オジサンの出る幕ではないから早めにパヤップ師の庵に引き上げた。

翌朝は坊さん、学生、村の子供達で森の木を守る法会が開かれた。村の女の子5名ほどがアカの民族衣装で参加してくれた。中に一人、ワニダ(画像中&下)という14歳の美少女がいたものだから、彼女ばかり撮ってしまった。日本だったら変なおじさんと警察に通報されただろう。

仏教大学の学生達も同じ民族衣装の少女でもそれなりの女の子には目もくれず、ワニダと一緒に記念写真を撮ろうと彼女に殺到していた。メーチャンタイも将来、長期滞在する村の候補である。もう2,3人、ワニダのような美少女がいると大変嬉しい。