チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

パナセリ支援 1

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パナセリ支援(その1)

「それでは私が半分出しましょう」。A先生は言われた。アカ族の村、パナセリにNPO代表という日本人が訪れ、保育園建設資金、40万バーツの援助を約束しながら、その後、音信不通になっているという話をしたときのことである。
「ちょっと待って下さい。そんなに簡単にお金を出すというものではありません。まず、現地を視察して、本当に支援が必要かどうかを確認してから決めてもいいのではありませんか。それに1,2度会っただけの人間を信用してはいけません。私が、出して頂いたお金をくすねてしまう可能性だってあるわけでしょう?」。「あなたのことはブログを読んでいるから信用できると思っています」。

タイ人を騙してもそれほど儲からない。やはりお金持ちの日本人からお金を巻き上げる方が簡単で効率が良い、と考えている日本人は残念ながら存在する。ブログどころか新聞を発行するような社会的地位のある邦人でも日本人をカモにしているという噂のある国だ。A先生の善意には感謝するものの、怪しい日本人を前にして少しナイーブ過ぎるのではなかろうか・・・

NPOのオーサキ氏が保育園建設資金を出すといったのはかれこれ2年前の話だ。何度か書いたが、自分は将来、アカ族の村に長期滞在したいと思っている。パナセリはその候補の一つである。もし住むときは、母の追善供養として40万バーツくらい出してもいいかと考えていた。ともあれ、A先生の言われたことが本当であれば、支援の実現は一気に加速する。一応、パナセリに出向き、保育園建設支援について実地調査をすることにした。ついでにパナセリから3キロほど山を登ったところにあるメーチャンタイビレッジというアカ村を訪ねることにした。

アカ族に限らず、少数山岳民族はキリスト教に改宗している人が多い。パナセリもキリスト教の村だが、メーチャンタイビレッジはアカ村にしては珍しく仏教の村である。そこに庵に近い粗末な寺院を建てて、パヤップ師という坊さんが住んでいる。チュラロンコン大学卒業、日系企業に勤めたこともあるというインテリだ。10年前から一人、アカ村に住み込んで、麻薬撲滅と布教活動に取り組んでいる。パヤップ師との偶然の出会いから数年経つ。小泉八雲の「青頭巾」に出てくるようなあの寂しい山寺に何度泊まったことか・・・

パナセリに行くには、まずチェンライからバスで1時間半、118号線のメータムというバス停で降りる。メータムからパナセリまで行くバスはない。朝、9時半とか10時にメータムのバス停からパナセリに貨物を運ぶトラックが出るのでその荷台に乗せてもらう。初めてパナセリまで行った時は2時間近くかっかった。その後、急勾配の難所に限ってコンクリート舗装が施されたので、今は1時間15分ほどで行ける。来るたびに少しずつインフラの改善が進んでいる。ウズベクには2年間滞在、帰国後2年して再訪したが、公共輸送や道路に関して、よくなったところは何もなかったことを考えると、さすが中進国、タイの国力を実感してしまう。ともあれ、基本的には未舗装の凸凹道であるから、荷台に座っていると、腰に衝撃がもろに来る。立って鉄棒にしがみつき、ヒザを軽くまげて地面からの衝撃を吸収するというのが正しい乗り方である。運賃は60バーツ、チェンライ-メータム間70キロのバス代が45バーツであることを考えると高いような気もする。

パナセリで保育園用地を見学する。オーサキ氏が支援を約束してくれた時、村では半ライ(約250坪)ほどの平地を用意した。小高い丘の中腹だ。もちろん今は何もない更地である。丘の上には村の集会所があり、今はそこを保育園として使っている。がらんとした集会所の片隅に園児の描いた絵などが張ってあった。

その後、保育園建設の話はどうなっているのか。用地を見た後、地区の副リーダー、アロンという青年に話を聞いた。タイのある財団がいくらかの支援をしてくれることになったが、柱と屋根だけの建物が出来る程度のお金である。現在、園児数は約40名、今後、増える傾向にある。しっかりした建物と、トイレ、給食設備が必要だ、という。ノープロミス、ノーギャランティーベースと予め断ったものの、話を聞いた以上、向うも何らかの期待はするだろう。この分だと応分の支援はしなければいけないかな、などと思い始めた。(続く)



写真は村の保育園用地、副リーダ、アロンです。