夢の家訪問(その1)
いくらタイ政府の定住化政策があるにしろ、山岳民族は本来、焼畑移動農民であるから、点在してタイの山奥で暮らしている。近くに学校があれば良いが、そうでない場合、子供は学校に通えない。山岳民族は独自の言語を使っているため、学校に通えなければタイ語を習うことが出来ない。タイ国内において、タイ語の読み書き、会話が出来ないことは自分を引き合いに出すまでも無く、大変なハンデキャップだ。
タイ北部ではキリスト教のミッショナリーを始めとして多くのNGOが山岳民族子弟の教育支援を行なっている。小学生以上の子供を集めて寮に寄宿させ、近くの学校に通わせる、子供をコミュニティや親兄弟親戚から引き離して、親とは違う言葉を教え、古来の文化を忘れさせてしまう、こういうことで良いのか、という声はあって、教育支援ではなく山岳民族の文化を守るために活動しているNGOもある。
しかし、固有の文化、伝統の保存、継承も大事だが、まずタイで暮すにはタイ語で初等教育を受けることが大切だ。その後、できれば高等教育、職業教育を受けてより収入の高い仕事につくこと、少なくともちゃんとした仕事に就くチャンスを掴むことが重要だ、と考える人はNGOのみならず、山岳民族の中にも多い。
いずれにせよ、世界中から多くのNGOが少数山岳民族の支援を行なっているのであるが、彼らのタイにおける地位向上にはまだまだ問題が山積しているのが実情である。
日本のあるNPOに同行して、チェンライ県メースウェイ郡ワーウィー地区にあるスーファン寮(夢の家)を訪れる機会があった。夢の家は20年ほど前、アカ族出身のアリヤ・ラッタナウィチャイクン氏が始めた子供寮である。現在20名の小学生から高校生の子供が在籍している。内、高校に通っている高校生は学校のあるチェンライ市内に寄宿しているため、夢の家にはいない。
夢の家はチェンライ市中心からチェンマイに向かって約50キロ、118号線からメースウェイ川手前の道を右に折れ、山道を28キロ登った所にある。アリヤさんはこの近くのアカ村、センチャルンマイ村出身だ。21歳の時、親が面倒を見られない幼児のために保育園を作った。保育園を卒業しても、家庭の都合で小学校へ行けない子供がいる。流れで、学校の近くに子供寮を建てて、そこから子供達を小学校に通わせた。以来、彼は50人を越える子供達の面倒を見た。自分の収入だけでは寮の運営が難しく、財政的な危機が何度かあった。何とか日本や欧米のNPOの援助で乗り越えてはいるが今でも決して楽ではない。
さて、夢の家に着くと、十数人の子供達が迎えてくれた。皆、アカ族の子だ。女の子の数がいくらか多い。学校がある間はこの寮で集団生活をして近くの小中学校に通い、夏休みなど長期休暇のときは自分の村に帰る、という生活だ。家庭の都合でずっと寮に住んでいる子もいる。NPOの理事長で京都の医師、A先生から頂いた子供達のプロフィールを読む。氏名、年齢、入所時期、入所の背景、将来の夢などが各自の写真入で紹介されている。
「男子15歳、6人兄弟の2番目で家庭が貧しく、IDカードも無い。父が麻薬常習者。将来の夢、ボクシングの選手になって家族を楽にさせたい」
「男子13歳、両親が離婚し、祖母と二人暮らし、麻薬や酒に走った父のようにならないように勉強させたいと言う祖母の願いで入所。将来の夢、軍隊に入って自分の国を守りたい」
「女子12歳、ミャンマーから来たばかりでIDカードがなく、他の学校に入れず、勉強したいため入所した。将来の夢、看護師(村に医者がいないから)」
「女子13歳、生活が貧しく、また村には小学校しかなく、どうしても中学校に行きたかったため。将来の夢、教師(自分が教えた子も次の子に教えて欲しい)」
入所に当たってはアリヤさんが個々の家庭の状況と子供の希望を聞いて入れるか入れないか決める。アカ族によるアカ族の子供のための寮だ。入所する子供は女の子の場合、貧しくてこのままでは都会に売られていくという子が多い。男の子は親が麻薬に手を出したとか、離婚で片親と言う家庭が目立つ。貧しくて家庭的に恵まれないからと言うだけでなく、本人が本当に勉強したいのかどうかを見極めることが大切とアリヤさんは言う。(続く)
写真はアカ族の民族衣装を着た14歳少女。(メーチャンタイ・ビレッジにて、記事とは関係ありません)