タイの政体
タイの政体は立憲君主制である。立憲君主制の国としては、イギリス、オーストラリア、ベルギー、オランダ、スウェーデン、アジアではマレーシア、カンボジア、ブータンなどがある。議論はあるが日本も立憲君主国と規定されている。欧州の立憲君主国と同様に、タイにおいても選挙によって国会議員が選ばれ、多数党により内閣が組織され行政を行なう、いわゆる議院内閣制度が採用されている。タイの憲法はタイを「国王を元首とする民主主義」と規定しているが実態はどうであろうか。
まずタイでは国王が「国民の父」として政治に深く関与する。「国民の父」とともに「選挙に基づく政治」、「仏法と倫理に基づく統治」という3つの世界がタイ政治の基本をなす。
タイでは統治者と政治家の区別は明瞭ではない。統治者の要件は選挙民によって選ばれたという手続きではなく、その人に備わった人徳の高さや仏法の遵守のほうである。統治者に求められるのは権力による支配ではない。慈悲と寛容に基づく統治である。タンブンを積んで特の高い人が統治を支える、といった基本的原理が、タイ国民にとっては制度的な民主主義以上に大切な約束事である。
タイで一番徳の高い人、仏様の代理者は誰か、もちろん国王である。「国民の父」が「仏法と倫理に基づく統治」を行なうという形でしかタイの政治的安定はない。
ここでタイ国憲法における国王の権限と役割を見てみたい。
・ 主権はタイ国民に属する元首である国王は憲法の規定にもとづき、国会、内閣、および裁判所を通じてその主権を行使する。
・ 国王は崇敬され神聖な地位にあり、何人も侵すことは出来ない。
・ 国王は仏教徒であり、かつ宗教の擁護者である。
・ 国王はタイ国軍を総帥する立場にある。
・ 国王は位階と勲章を授与する大権を有する
・ 国王は枢密院(議長1名、顧問官18名以下)を任命する。
・ 国王が同意せず国会に返送した、あるいは90日が過ぎても返送しなかった法案は、国会が再審議しなければならない。
・ 国王は内閣総理大臣と35名以下の閣僚を任命する(内閣総理大臣は下院議長が勅令に副署)。
・ 国王は戒厳令の施行あるいは解除を公布する権限を有する。
・ 国王は恩赦を実施する権限を有する。
・ 国王は事務次官、局長、それと同等の公務員文官、武官を任命し、もしくは解任する。
このほかに、憲法が定める独立機関である憲法裁判所長官、裁判官を「上院の助言を得て」任命する権限を有する。
国会の決定ではなく国王自らが署名することで、すべての法律や人事が発効する。例えばタクシン政権時代の2003年11月、国王は教員規則法の法案に不備があるという理由で署名を拒否し、結局この法案は廃案になった。
タクシン首相は「選挙に基づく政治」を唱え、首相に権力を集中し、強力に政治経済改革を進めた。2001年2.2%であったGDP実質成長率は02年5.3%、03年7.1%、04年6.3%と開発計画の目標値、4-5%を越える実績を示した。タクシンの率いる政党は2005年の総選挙で議席の75%を単独で獲得する。圧倒的支持を得たタクシンはテレビを通じて直接民衆に語りかける方法を好んだ。もう一人の「国民の父」の出現に、従来の「国民の父」並びに「仏法と倫理に基づく統治」を重視するグループ(軍部、枢密院、上流階級)が反発し、その結果、政局は混乱し、2006年に解散総選挙が行なわれる。ここでもタクシン派は500議席の内、349議席を獲得する。これに対し、国王は「今回の総選挙は非民主的であり、裁判所が適切に対処すべき」という発言を行なう。国王発言を受けて憲法裁判所は、急遽、総選挙の無効判決を下す。更に憲法裁判所はタクシン派政党の解散と党役員111名の選挙権停止を命じる。
2007年12月にまた総選挙が行なわれた。ここでも第一党となったタクシン派は連立政権を樹立するが、憲法裁判所は再びタクシン派政党と連立与党に解党を命じる。
「憲法裁判所の採決は絶対的であり、国会、内閣、裁判所およびその他の国の機関を拘束する権利を持つ」と憲法に定められている。裁判官は国王に任命され、枢密院や軍部に近いのは周知の事実だ。
以上は岩波新書「タイ 中進国の模索」末廣昭著 からの抜き書きである。全7章からなる本書の最終章は「タイ社会と王制の未来」だが、特に気を使って書いてある。タイ研究者がタイ王室に関して知っていることをすべて書くことは難しい。書いたとしたら自分のタイ研究に支障が出てくる可能性がある。どう転ぶか判らない政権批判についても同じことがいえる。タイの現代政治を知る上で好著といえるが、自分としては研究者の苦渋を垣間見るという意味で興味深かった。
画像はチェンライ市街から車で約30分のメーファー・ルアン・ガーデン。