チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

テニスに夢中 2

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テニスに夢中(その2)

ある朝、ジョージやダンたちとゲームをしていたら、コートに鶴のように痩せたタイ老人が現れた。ジョージがテニスの手を休め、「サワディーカップ」とワイ(合掌のタイの挨拶)をしながら腰をかがめている。「あれ誰?」、「なんだ、お前、あの方を知らないのか、あの方がスライス・マイスターと呼ばれているお方だ」と教えてくれた。歳は84歳、お医者さんだがもう仕事はしていないらしい。テニスが趣味で毎日のようにコートに現れる。教えを請えば、誰彼となく気さくに相手をしてくれるし、いつも対等に若手とダブルスのゲームを楽しむ。

一度、お手合わせを願ったことがある。どんなボールでもスライスで返す。右に行けば左に逃げていくスライスボールが返ってくる。左に行けば右にボールが落ちてくる。前に出れば小さなロブが後方へ跳ねる。ご本人はコートのセンター後方に立ったまま、ほとんど動かない。ラケットがわずかに動くだけで変幻自在のスライスボールが返ってくるのだ。こちらが右に左にと動き回り、へとへとになってミスをすると「フォッ、フォッ」と笑う。あれだけ思い通りにボールを扱えれば楽しいだろうと思う。

84歳というと母と同じ年齢だ。実に羨ましい。しかし、スライス・マイスターも神様ではない。たまには彼の返球位置を予測して、ボールの落下点に早めに入り、そこからコーナーにフォアハンドフラットを打ち込む。するとマイスターは「ファー」と小さな声を上げて2,3歩、ボールに駆け寄るが、深追いはせずあきらめる。ほぼ9割が「フォッ、フォッ」で「ファー」はほとんど聞かれないまま、試合は終った。自分もスライスをマスターしていつかドクター(スライス・マイスターを皆こう呼ぶ)のようになりたいな、とジョージに言ったら、あの技術レベルに達するには最低50年修行を積まなくてはだめだ、という。今から50年掛かるのではほぼ不可能だろう。

4月、5月の暑季、炎天下で行なうテニスは100%の確率で熱中症を招く、という意味で自殺行為となる。しかし、20度をはるか下回るさわやかな乾季でも日中テニスをやるというタイ人はほとんどいない。日の高い時間、コートはいつも全くの無人である。平日はみんな働いているからこないのか、と思っていたが、土日でもタイ人は来ない。なぜか、と聞いてみたらタイ人は日光に当たることを本質的に好まないからだという。コートがにぎやかになるのは、やはり日が落ちてからである。市営コートではあるが、一応メンバー制だから、集まる顔ぶれは大体同じだ。自然と挨拶を交わすようになる。

ゴルフやボウリングにはハンデというものがあるから上手な人と下手な人が一緒にプレイしても楽しめる。プロゴルファーと腕自慢の素人が組んでゴルフコースを回るといったテレビ番組を見たこともある。しかし、テニスにはゴルフにおけるハンデというものはない。だから実力が違いすぎるとテニスにならない。自分と錦織圭選手が対戦するということは想像できない。テニスでは対戦相手の技術レベルが自分と同じか、少し上、という組み合わせでないと面白くない。スライス・マイスターが自分とテニスをするのは遊びであって、ゲームとしての緊張感はないのだろう。

コートに兄弟がデビューした頃はラリーもろくろく繋がらず、タイ人から見るとあれ何? といったレベルだったと思う。本当ならいるだけ邪魔、と思われても仕方ないところ、向うから練習に付き合ってあげようという人が何人も現れた。コーソーさん、ソンブンさん、ポクシーさん、時には球出し、といって何十球も打ちやすいボールを投げてくれる。多少、自分が上達したとすれば、メンバーのタイ人の親切に負うところが大きいと思う。ありがたいことだ。

ウズベクでやっておけばよかったと思うことは多々ある、そのうちの一つがテニスのレッスンである。金髪、妙齢のテニスコーチがいた。彼女は女子プロの世界ランキング100位前後に入っていたのだが、腰を痛めて、ツアーから遠ざかっていた。彼女がテニス指導をしてくれるという。コーチ料も日本に比べれば破格に安い。彼女を専属コーチとして、テニスを学べたのに、なぜか頼まなかった。現在のように2時間ぶっ続けでテニスをやるような環境になく、テニスの奥深さ、面白さを知らなかったからかもしれない。

今は、「俺が言っているのではなく、元テニス日本チャンピオンが言っていると思って聞け」、とDVD受け売りの兄のコーチを受けている。ウズであの美人コーチの指導を受けていたら、今頃は・・・と思うと残念でならない。