チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

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テニスに夢中

どこに移動するにも車を使うので、運動不足になりがち、ということでテニスを始めた。近くに9面のコートを持つ市営運動場があった。月300Bの会費を払い、兄弟揃ってメンバーとなった。兄は高校の時、軟式テニスで都のベスト16位に入ったことがあるという触れ込みだった。ところが3年にわたる介護生活で、激しい運動する機会がなかったのだろう、ラリーをしてみると女子高校生のように足がヨレヨレして目の前のボールにも追いつけない。返す球はホームラン、もしくはネットに引っ掛ける。本人も情けない、汚名返上と思ったのか、その後、積極的にコートにでるようになった。帰国するたびに「テニス、レベルアップマスター」、「ダブルス、上達のツボ、基本編」といった本を買ってきて読みふける。やはり道具も大切だと新しいラケットを買ってくる。本に付属したDVDを何度も見て、練習をする。そのうち、俺には元日本チャンピオン(DVDでテニス指導している)がついている、と豪語するくらい腕が上がってきた。

その陰にはいつも練習に付き合っている弟の存在を忘れて欲しくはないが、その弟もこの一年で人に褒められるくらい、(前がひどかったのだろうが)サーブやスウィングに力がついてきた。タイに来た当初は、へなへなのラリーがやっとだったが、今ではスピンやカットで打ち合って、見た目、テニスらしくなってきたと思う。

1月は母の入院やら運転免許の切り替えなどで忙しく、回数は少なかったが、それでも10回以上はテニスをやっていた。その前の12月は25回、2月に入ってからは連日休みなしにコートに出勤している。女中さんにテニスに行く時、「仕事に行って来る」といつも言うので、はいはい、お仕事にお出かけですね、はい、水、とペットボトルを渡してくれる。

月、水、金は午前中タイ語の授業があるので、少し日が翳ってくる午後3時半以降に1時間半ほど練習。一人でコートに行くこともあるのだが、管理人のオバサンが気をきかして、その辺の男子高校生をラリーの相手につけてくれる。彼を相手に1時間ほど打ち込みをし、その後、一人でサーブの練習をする。スピンの掛かったサーブが入るようになったので、今はコースやスピードを考えながら練習をしている。

火、木、土は朝8時にコートに行く。ジョージ、チャック、ダン、スチュワート、ジェイミーなどの外人組に加え、邦人のOさん、タイ人のチャムロンさんなど数人が来ている。入れ代わりながら適当にダブルスのゲームを10時近くまでやる。大体6ゲーム先取の試合を3-4戦、ダブルスはシングルスに比べて動きが少ないといわれるが、ほぼ休みなしにやるので結構な運動量となる。

こちらに来た頃、外人たちがゲームをしているのを見て、なんて上手なんだろう、コテンパンにやられるからとても仲間に入れて、とはいえないな、と思っていたものだ。彼らは週6日テニスをやっている。年季が入っているせいかボレーが実に上手い。ジョージは自分と同じくジアップ先生からタイ語を習っている。タイには珍しい大型オートバイで学校に乗り付ける元気老人だ。がっしりした体つきで、セカンドサーブでもミスを恐れず、力一杯のサーブを打ち込んでくる。ジアップ先生から彼を紹介してもらい、その繋がりで外人組とテニスをやるようになった。

ナニ、60才なんてまだベイビーよ、俺は70、などと気さくに受け入れてくれたが、やはり勝負となると真剣だ。ジョージには初めの頃、「お前、何でそんなとこにボケッと立っているんだ、足を使え」などと厳しい指導を受けたものだ。そのうち、彼らの弱点がわかってきた。背後にロブを打ち上げたり、サーブを前に落としたりすると足が付いてこないのだ。最近、ジアップ先生がジョージに「中西とジョージとではどっちがテニス上手いの」と尋ねたところ、大層不機嫌になったとのこと。ちょっと嬉しい話だ。

タイに来る前、半年足らずの期間だったが、30年来の友人、Tさんの紹介で、テニスクラブに入れて貰い、毎週、狛江市のコートに通った。自分の実力は贔屓目に見てもCクラスで、中西・T組はいつも自分が足を引っ張って、在籍中1勝も出来なかった。Tさんには申し訳ない気持でいっぱいだ。今だったらTさんをカバーして、相手にもよるが、3つの内2つはゲームが取れるような気がする。チェンライ合宿で鍛えたこの腕をTさん始めお世話になったクラブの人達に、いつかご披露したいものである。