チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

墓場まで持っていけない

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墓場まで持っていけない

1月の初めにチェンマイ日本総領事館主催の「新年会」があった。会場は東洋の歌姫、テレサ・テンの常宿だったインペリアル・メーピンホテル。総領事館の管轄するタイ北部7県から300名近くの参加者があった。中心はやはりチェンマイ、それもチェンマイ在住のロングステイヤーと思しき老夫婦が多い。チェンライ日本人会の会員にも全員招待状が送られてきたのだが、チェンライから参加したのは数名だけだった。総領事始め数名の顔見知りにご挨拶するだけで、久しぶりにお寿司やお汁粉、それに日本酒などをご馳走になった。

直接金融に関係する財団法人に出向していたことがある。銀行は担保を取ってお金を貸すから間接金融、それに対し、担保なしでお金を貸すのが直接金融だ。ベンチャー投資はこれにあたる。ハイリスク、ハイリターンの世界だ。毎年のように香港で開かれるベンチャー投資の国際フォーラムに参加していた。一流ホテルに世界のファンドマネージャー投資銀行のメンバーが集まり、日中はセミナーや講演会に参加、夜は何百人も集まってパーティを開く。パーティでは誰彼となく、「ハーイ、アイアム・・・」などと話しかけ、また話しかけられて、名刺を交換し、お互いの素性を探りあう。日本のベンチャー投資の統計などを作っている経産省関連の団体で、などと言うと、なによ、儲け話と関係ないじゃない、と笑顔を引っ込めて隣へ移る女性ファンドマネージャーなどもいて、それはそれで割り切っているじゃんと面白かったものだ。パーティで何か仕事に役立ちそうな情報や人脈を見つけだすのは英語が下手なせいもあって楽ではなかった。でもそれが仕事の一部であったのだから仕方ない。

チェンマイの新年会は人に話しかける必要がないし、話しかけてくる人もいない。お互い、知り合っても何もメリットが無いと分かっているからだろう。ひたすら食べることと飲むことに専念できると言う意味で大変楽しいパーティであった。

普通一般の生活というのは広く見ればいわゆる経済、政治、学問といった世界でのマネージメントということである。個人的にいえば権力と金銭と名誉のあくなき追求である。年金生活に入って、40年にも及ぶこの力と利と名の世界からすっかり足を洗うことが出来た。このしがらみのない生活は突き詰めると禅僧の生活に通じる、と鈴木大拙師は説いている。確かに実際生活を超脱した高次の生活に近づいているような気がする。

それ程、利や名を追求した覚えはないが、それでも浮世の義理というものはあった。組織の一員であれば組織のルールは尊重しないといけない。例えば顧客や上司が無理難題を押し付けてきても、そこは自分を殺して、ウーン、難しいですが何とか努力してみます、くらいのことは言っていたと思う。何か仕事に利することがないか、と国際会議で名刺をばらまいたが、こんなことは本当はやりたくなかったのかもしれない。今は、いい人だと思えばその人を訪ねて歓談し、ちょっとと思う人は敬して遠ざける、という生活が許されている。職歴や学歴(ムショ歴も)を問う人もいない。自由な生活だ。

東大法学部を卒業して超有名金融機関に就職した人がいる。常務にまで出世したのだが、頭取になれなかったことがその人にとっては挫折だったのだろう、退任したあと、俺は頭取になれなかったと悔やむ毎日という。ある人はそこそこの会社の社長になった。ワンマン社長として君臨していたのだが、自分に忠実だった男に後を譲った。しかしその男は社長になると、前社長をあっさりと会社から追い出した。「俺が社長にしてやったのに、あの恩知らずめが」と、脳溢血に侵され、レロレロと回らぬ舌で愚痴をこぼし続けているという。

人はそれぞれではあるが、社会的に立派な地位にあった人でも、その晩年が悔やんだり、妬んだり、愚痴ったりするだけ、というのはつまらない人生だったということにならないだろうか。豪邸をタイ人の奥さんのために買い、奥さんの兄弟にまで車や田んぼを買い与えている人がいる。どうして、と聞くと「中西さん、お金は墓場まで持っていけないんだよ」と哀れむように諭してくれた。こういう人は禅僧の悟りの境地に入っているのか。

えっ、ドリアンが1キロ40バーツ(100円強)? 高くて買えないよ、などと言っている自分はまだまだ修行が足りない、と反省する次第である。