チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイ日本友好記念館(その8)

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タイ日本友好記念館(その8)

鳩山首相は9月に国連総会に出席するために訪れたニューヨークで中国の胡錦濤国家主席と会談した。その折、鳩山首相はいわゆる「村山談話」の立場を踏襲すると国家主席に表明したと伝えられる。

1994年に村山首相はマレーシアを訪問し、マハティール首相と会っている。マハティール首相は村山首相に対し、「なぜ、50年前のことを謝っているのか」と一喝を食らわせた。マハティール首相は日本経済新聞で連載された「私の履歴書」の中で、「自分の生きている間に、我々が欧米人と対等に会話できる時代が来るとは思ってもいなかった」と書いている。出来るようになったのはすべて日本のお陰ではないか、というわけだ。

大東亜戦争以前、東南アジア地域は、シャム(タイ)を例外として欧米の植民地であった。日本は昭和18年にそれらの地域の代表を東京に招き、アジア人のアジア人による初の国際会議、「大東亜会議」を開催した。集合したのは日本国 東條英機内閣総理大臣、タイ国 ワンワイタヤコーン殿下、中華民国国民政府 汪兆銘行政院長、満州国 張 景恵国務総理大臣、フィリピン国 ホセ・ペ・ラウレル大統領、ビルマ国 ウ・バー・モウ内閣総理大臣、自由印度仮政府 チャンドラ・ボース首班の7カ国の代表である。
ここで「大東亜共同宣言」が採択された。宣言では世界平和の確立に寄与するために各国は次の5項目を遵守するとしている。
一、大東亞各國は協同して大東亞の安定を確保し道義に基く共存共榮の秩序を建設する
一、大東亞各國は相互に自主獨立を尊重し互助敦睦の實を擧げ大東亞の親和を確立する
一、大東亞各國は相互にその伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亞の文化を昂揚する
一、大東亞各國は互惠の下緊密に提携しその経済発展を図り大東亞の繁榮を増進する
一、大東亞各國は萬邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廃しあまねく文化を交流し進んで資源を開放しもって世界の進運に貢献する

この「大東亜」を「東アジア」に読み換えてみれば、鳩山首相の唱導する「東アジア共同体構想」とほぼ重なるのではないか。鳩山さんの「東アジア共同体構想」は誰もその具体的内容は知らないというが、自主独立、共存共栄、経済発展、文化交流、世界平和の実現など大東亜宣言の内容を踏襲することは間違いない。鳩山首相胡錦濤国家主席に、66年前にお宅の国も大賛成だった「大東亜宣言」に基づいて、友愛の実を上げましょうと提案すべきであった、と自分は思う。

東條首相はこの大東亜会議開催を生涯の誇りに思っていたという。決してそれは彼の自己満足ではなかった。この大東亜宣言の精神は12年後、アジア・アフリカ諸国が集ったバンドン会議に受け継がれた。バンドン会議で採択された平和10原則はまさに大東亜宣言を踏襲したものだった。

大東亜宣言で「人種差別の撤廃」を謳ったのは欧米各国を意識してのことであろう。ある種の本には日本の植民地同然だったアジア占領地域を欧米が解放した、と書いたものがあるがこれは違う。日本軍がいなくなった途端にあつかましくも、またアジアを植民地にしようと、欧米は軍隊を送り込み、独立を阻止しようとした。日本の占領下で独立した国々もその独立は認めてもらえなかった。アジア諸国独立戦争を戦い、あるいは長年にわたる交渉を経て独立を勝ち取っていった。欧米がアジアを解放したというウソは下記のアジア各国の独立年を見ればわかるであろう。

独立年 国名 <植民地搾取国>     
昭和21年(1946) フィリピン <アメリカ>
昭和22年(1947) インド <イギリス>
昭和23年(1948) ビルマミャンマー) <イギリス>
昭和24年(1949) インドネシア <オランダ>
昭和28年(1953) ラオス <フランス>
昭和28年(1953) カンボジア <フランス>
昭和29年(1954) ベトナム <フランス>
昭和32年(1957) マレーシア <イギリス>
昭和38年(1963) シンガポール <イギリス>

インドネシアでは3000人もの旧日本軍人が、日本が訓練したスカルノ、ハッタのインドネシア軍とともにオランダ軍と戦った。ビルマでも独立に貢献した旧日本軍人が勲章を貰っている。ベトナムでも旧日本軍人が自ら訓練したベトミンとともに、フランスと戦った。タイでも戦後もタイ、ビルマ国境に残留し、カレン軍を指導した旧日本軍人がいる。国が敗れても、個人としてアジア独立の大義に立ち上がり、そしてそれに殉じた無名の人々、彼らの勇気と真情に「友愛」にはないある種の崇高さを感じるのは自分だけではあるまい。(続く)

写真は記念館の全景と、ミヤンマー国境のメーホーソンの市場。
ランの花は一束20バーツ(約60円)