チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

チェンライ発の海外旅行 3

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チェンライ発の海外旅行 3

中央アジアに憧れた作家に井上靖がいる。彼はスウェイン・ヘディンの「西蔵探検記」やオーレル・スタインの「西域探検紀行」、玄奘三蔵の「大唐西域記」、「法顕伝」それから元主フビライが派遣した景教僧の旅行記を学生時代から何度も読み返したという。学生時代からの夢は昭和40年、彼が50代半ばになってついに実現する。彼の中央アジア、特にサマルカンドに対する憧憬は、読むものの心を熱くする。

以下は彼のエッセイ、「遺跡の旅、シルクロード」からの抜粋である。

 『この旅に出る前年、つまり三十九年正月元旦の朝日新聞紙上に、私は「ある晴れた日に」という詩を載せた。今年こそ、もしかしたらサマルカンドの土を踏めるかも知れないという気持があったので、年頭にそのような詩を発表したのであった。

学生のころ、私は中央アジアで一番古い街サマルカンドへ行きたいと思った。何日もかかって無銭旅行の計画をたてた。かつてアレキサンダー大王が、ジンギスカンが、チムール大帝が、兵団を率いて、この街にはいったように、とある日没時、私は一頭の驢馬を引いて、シル河の支流沿いにこの街にはいるはずであった。不規則な狭い道路、古い回教寺院、そこを歩いている侵略者や被侵略者の後裔たち。長い興亡の歴史の翳りの中を、私は隊商商人のように歩いてみたかったのだ。

それから三十余年、今も私はサマルカンド行きの夢を棄てていない。昨年の元旦も一昨年の元旦もそうであったように、今年もまた、今年こそそこへ行きたいものだと思っている。無銭旅行を企らむには既に老いたが、金と時間の工面に何日かを費やす情熱はまだ残っている。

とある晴れた日に、私は空から天山の麓のその古い都へはいって行くだろう。もはや土に埋もれた石にも、古い城壁の蔓草にも、さして心は動かさない。私はその街で、黒髪と肌の色を異にした父親や、おふくろや、息子や、娘たちが、一つの卓を囲んでいる一家の団欒を見たいのだ。タタールカラカルパリ、タジク、ウズベク、いろいろな民族の血が入り混じった混血児たちが遊び呆けている幼稚園を見たいのだ。私はウズベク共和国国立大衆食堂で、かつてのこの地の覇者たちが食べたことのない大きなメロンを食べたいのだ。

この詩に書いたように、私のサマルカンド行きの夢は学生時代からのものである。それがこの詩の念願が実を結んで、こんどサマルカンドの町の土を自分の足で踏むことができたのであるから、多少の感慨なきを得なかった次第である』(引用終わり)

彼はさらに「サマルカンドはやはり西トルキスタンで最も美しい町であった」と続けている。

自分が初めてサマルカンドを訪れたのは2006年の7月のことであった。そのときの経緯は「ウズベクのバザールから」に詳しく書いたので省略するが、とにかく暑かった。気温は多分40度近かっただろう。湿度が信じられないくらい低く、ペットボトルの水を腕に塗るとまるでベンジンを塗ったようにあっという間に乾いて、蒸発熱で腕がヒヤヒヤする。体からどんどん水分が蒸発するのであろう、2リットル入りのペットボトルがすぐカラになったものだ。サマルカンドは人口36万、小さな街ではないが、さりとて大きいというほどでもない。

名所めぐりをするには車があれば便利であるが、主だったところはレギスタン広場からシアブ・バザールあたりに固まっているので、歩いて回れないことはない。歩いて回ることができるというのがくせもので、普通の日本人が経験したことのない苛酷な気象条件の下で、トコトコ歩くと、体調はもちろん精神的にもかなり異常をきたす。少なくとも自分は頭痛がして、忍耐心が途切れ、親切に案内役を買ってくれた通訳のベクムロード君を怒鳴りつけそうになった。こんなことで自分の感情のコントロールができなくなるようでは、宇宙飛行士の試験を受けても多分、落ちるだろう。

本を読んでもテレビの映像を見ても判らないことがある。実際に、気温、風、日差し、臭い、雑踏の人いきれなど、自分の五感を圧倒して入ってくる情報というものは決して茶の間や書斎では得られないものだ。
とはいっても「だって、俺が実際見たのは、こうだったんだから」と実体験だけを振り回すのも、余り説得力を持たない。万巻の書を渉猟する必要はないが、ガイドブックといくつかの紀行文を読んでおくだけで、訪れる地から受ける感動、印象は違ったものになるだろう。井上靖のエッセイを読めば、まず、果汁ほとばしる大きなメロンにかぶりつきたくなるではないか。確か一個、日本円で100円位だったと思う。

画像はウズベク駐在の際撮影したものです


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