チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ 5ヶ月

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介護ロングステイ 5ヶ月

来タイ翌日の1月29日から今の家に住んでいる。一応、ベッド、タンス、食卓
セットなどの主要な家具は揃っていたが、茶碗、コップ、皿、鍋、やかんなど
の什器類、洗濯機並びに洗濯石鹸などはHさんご夫婦に手伝って頂き、その日
のうちに揃えることができた。

一階がリビングと台所、シャワー室兼用のトイレ、それにベランダ。二階はベ
ッドルームが3つ、どの部屋でもテニスラケットが振り回せるほど広い。2階に
もシャワー室兼用のトイレが2つ、内、一つはバスタブが付いている。庭はマ
ンゴーを始め数本の木が植えられている。花壇には女中さんが植えた空芯菜
ニラ及び雑草が茂っている。6月初めに女中さんが一人代わった。6人目だと思
う。女中さんによって農作業が好きとか土いじりは駄目だが、掃除は念入りに
やるとか、それぞれ得意分野があり、今度の女中さんは畑仕事に向かないのか、
急に雑草がはびこるようになった。車庫のスペースには車とバイクが1台ずつ
置いてあるが、つめれば7,8台、車が置けるだろう。

家は住宅団地の中にあって、見た目は異なるが一階がリビング、2階がベッド
ルーム3室といった間取りの家を中心に一戸建ての家が150軒ほどある。団地内
は塀に囲まれていて、ゲートには24時間ガードマンが待機して不審な車両や人
物が団地内に入らないように警戒している。今住んでいる家はタイ人と結婚し
た邦人の持ち家で、それを月額1万バーツで借りている。

日本から我が家を訪れる人たちは、えっ、家賃が月、3万円しないのですか、
とビックリしてくれるが、チェンライ在住の邦人は、えっ、月1万バーツも払
っているのですか、とこれまたビックリする。一軒あたりの敷地は広く、どの
家の庭にもきれいな花が咲いている。バナナやマンゴー、竜眼等の果物がたわ
わになっている家もある。教師の月給が7千バーツの国だから7千~1万バーツ
の家賃を払える階層はそれほど多くない。住民の3割くらいが外国人ではない
だろうか。一応、チェンライでは高級住宅地といっていいだろう。

団地内を走る車は主として住民の車だけであるから交通量は非常に少ない。ま
たスピードが出せないよう30メートルおきに車道にバンク(道路の盛り上がり)
がある。時折、タイの良家のお坊ちゃんやお嬢ちゃん自転車で走ったり、中年
の夫婦がウォーキング運動をしているくらいで、団地内は静かなものだ。

夕方、日が落ちて涼しくなってから車椅子を押して歩く。母は誰彼となく「こ
んにちわ、ご苦労様です」と挨拶する。いつものことなので、向こうも、サワ
ディーカーとか、時には「コンニチワ」と挨拶してくれる。韓国人のパクさん
のお嫁さん(20歳のカンボジア人,画像)が母をみると、3ヶ月になる赤ちゃんを
抱いて見せてくれる。赤ちゃんも可愛いが、お嫁さんもまるで
アイドル歌手のように可愛い。

母は赤ちゃん頬ずりして、可愛いね、可愛いね、と繰り返す。家の向かいにも
シンガポーリアンのタイ人おくさんが4ヶ月くらいの赤ちゃんを車椅子の母に
見せてくれる。色黒のアカンボだが、この子にも可愛いね、を繰り返す。おく
さんもうれしそうにニコニコしている。ここ何ヶ月か涼しくなれば兄か自分が
車椅子を押して歩く。時には女中さんが車椅子を押していくが、女中さん同士
の井戸端会議が始まると、しばらく帰ってこない。

本来、タイは敬老精神に富んだ国である。日本のように母の挨拶に横を向くよ
うな人はいない。向こうから挨拶してくれる人も増えた。時には、「どうぞ、
これを召し上がってください」とお菓子や果物をタンブンしてくれる人もいる。
結構、母も稼ぐのである。

東京にいた頃、車椅子で外出するとなると、前後、左右から来る車や自転車に
注意し、赤信号では車椅子のブレーキをかけ、歩道の段差に気を配り、知らな
い人に声をかける母をたしなめながら、と神経が休まらなかったが、こちらで
は色とりどりの花を眺めながら、ゆったりと歩ける。母と取り留めのない会話
も楽しめる。時には唱歌を二人で歌いながら歩くこともある。食慾はあるもの
の母の精神的な衰えはやはり進行しているように思う。夕暮れの中、「ギンギ
ンギラギラ、夕日が沈む・・・」という母の歌声を聞くことができる時間はも
う余り残されていないのかもしれない。