チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

母の入院

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母の入院

1月に一回の恒例、シルブリン病院に行った。病院入り口には常に車椅子が待機していて、車から降りる母を二十前後の若い男性が甲斐甲斐しく手助けしてくれる。

この日はいつも母を診てくれるプルーム医師が午前中手術を抱えていて不在であり、代わりの医師による診察を受けた。基本的には薬を貰うだけだから、特に主治医でなくてもいいだろう。この日の母は少し興奮気味だった。待合室でも診療室に入っても「おなかが痛い」と大声を出す。医師は母の血圧を測り、聴診器で心音を聞き、カルテを見ながら、夜眠れないようですし、このように興奮なさっているので睡眠薬と興奮抑制剤をお出ししましょうと言う。あとで聞いたが、今回の薬はかなり強い薬だという説明が付き添いの女中にはあったようだ。

この日の診療費、薬代は1200バーツ、日本円で3000円程度だが女中は高いとビックリしている。でも日本の国民健康保険に入っているので、手続きをすれば本人一割負担で9割の金額が還付される。海外で支払った医療費は日本のベースで査定されるが、タイは医療費が安いので概ね9割が戻ってくるとのこと。米国では医療費が高額であるので支払った医療費の9割が国保で戻ってくるケースはほとんどない。やはり先進国へ旅行、長期滞在する場合は、民間の医療保険に入ることが必要だろう。

薬は従来もらっていた血液の流れをよくする薬、胃の薬に、興奮抑制剤、睡眠薬が加わった。1日目は特に大きな変化はなく、夜は寝るまえに少し騒いでいたが、いつものことではあるし気にもしなかった。おかしいな、と思い始めたのは翌日の午後である。水を欲しがるが、嚥下障害というのだうか、口から水をこぼすし、時折激しくむせる。

その夜、所用があって夜11時過ぎに戻ってみると女中2人と母がベッドの上にいる。母の様子がおかしい。口をだらりとあけたままでよだれが出ている。呼びかけても反応がほとんどない。電気を消して寝かせても、ベッドから起きて歩こうとし、いつもと様子がまるで違うと、女中も心配そうだ。電話で連絡してあるからというので、朦朧としている母を車に押し込み、二人の女中と共にシルブリン病院に向かった。

病院に着くとすぐストレッチャーに載せられて救急センターに運ばれた。当直の若い医師が血圧を測りながら、女中の話を聞いている。薬が変わってから様子がおかしくなったのだ、と女中が家からもらってきた薬を見せている。老人の場合、薬効がすぐにでるわけではなく、どこか体に蓄積されていて一気に効き目が表れることがある。まさに今回の母のケースだ。しばらくして50年配の眼鏡をかけた医者が現れて、若い医師と同じ説明をしたうえで、1日入院して薬の効き目が薄れれば、退院できるでしょう、いずれにしてもシリアスな状況ではないので安心するように、と言って看護師に点滴の用意をさせた。

受付に行くと深夜12時を回っているのに、おなかの大きい臨月とも見える女性事務員が座っていて、入院手続きの説明をし、病室の写真と価格表を出してどの病室にしますかと聞く。松竹梅がある。梅は一日1000バーツ、松の最高級、スペシャルVIPルームだと1日3500バーツだ。それではと松の下、1日2900バーツの部屋にした。点滴をつけた母が運び込まれたのは2時を回っていただろう。部屋はシャワーの付いたバスルーム、応接セット、4人がけの食卓、テレビ、冷蔵庫、それにたんすと化粧コーナーがある。

女中が狭いベッドに上がり、母に添い寝をする。もう一人は応接セットの長椅子に寝る。自分は運び込まれた補助ベッドでと、この病室に4人寝ることになった。とはいえ、母は一晩中興奮状態で、女中も自分も眠れたのはほんの1時間くらいだった。朝9時半に主治医のプルーム医師がやってきて母を診てくれた。何となくほっとする。昼食を終えて、ほぼ通常の状態に戻った母が退院したのは13時過ぎだった。

緊急入院の処置料、血液検査等検査料、薬代、入院費すべて込みで6400バーツだった。医師も看護師も保険に入っているか、と異口同音に心配してくれたのは、やはりこちらの所得水準からみると高額なのだろう。曲がりなりにも1泊2食、4名宿泊、それで1万数千円、多分その9割が還付されることを考えれば、決して高くはないが、もう泊まりたくはないというのが偽らざる気持だ。