女中さんの名前
タイ人の本名は一度聞いただけでは覚えられない。まず長い。自分が唯一、覚えているタイ人の正式な姓名は、「ソムチャイ・ポンキットヨーテン」である。この名前を聞いて、おお、懐かしいと思う方はどれだけおられるだろうか。自分が学生のころ、キック・ボクシング(タイのムエタイ)がブームになり、真空飛び膝蹴りで勇名を馳せた沢村忠が大活躍した。彼と対戦したタイのキックボクサーがソムチャイだ。頭に鉢巻を巻いて、チャカポコ、チャカポコ、タイ音楽に合わせてリングの片隅で跪いてお祈りをしていた姿を思い出す。
英文のタイ観光案内をみると、タイの人に姓でなく、名前で呼ばれても(例えばミスター・ジョンとか)ビックリしないようにと書いてある。麻生太郎だったらミスター・タロー、山田花子だったらミス・ハナコだ。タイの現首相の名前はアビシット・ウェーチャーチーワというのだが、日本の新聞でもウェーチャーチーワ首相でなく、タイ式にアビシット首相で通している。姓名の名で呼ぶのも面倒なのか、タイ人はほとんどの人が自分のあだ名(チューレン)を持っていて、通常はそれで済ませる。元首相でチャチャイという人がいたがこれは、チューレンだったと思う。
こちらに来て、女中さんの名前を「ポパ」だと思ってそう呼んでいた。兄が、あれ、女中さんの名前、なんていうんだっけ、と度々聞くので「カール・ポパーのポパと覚えればいいだろう」といったらその後、名前を尋ねなくなった。ところがしばらくして、女中さんに名前を聞いたところ、本名がチューチン・ブアパットでチューレンはポパではなくブアだと言う。Hさんの奥さんから彼女を紹介された時、どうも名前を聞き違えたらしい。あれ、女中さんの名前、ポパじゃなくて何というんだっけ、とまた兄が聞くようになったので、「ダニエル・ブアスティンのブアと覚えればいいだろう」というと、その後尋ねなくなった。
学生の時、まじめに読んだ哲学や社会学の著者の名前が出てくるとは思わなかった。名前は覚えていたものの、どんなことが書いてあったのか何も思い出せない。若い頃は本の内容が理解できない時、自分の頭が悪いのだと思って、自分を責めたものだ。しかしこの年になると、書いてあることが分からない時は、自分ではなく、書いた人の頭が悪いのだと思うことにしている。そのくらいの「退歩」は許されるだろう。それにしても若いときの読書は・・・と先人が口を酸っぱくして、その効用を説いているのに、自分に関する限り、若いときの読書は女中さんの名前を記憶する程度にしか役立たなかったというわけだ。
ブアは将来、剃髪して正式の尼さんになるという希望を持っており、魚、肉などの生臭モノは一切口にしない。ほとんど菜食主義者だ。ノイという二人目の女中さんが来るまで、料理をしてくれたのだが、豚肉、鶏肉の野菜炒めなど味見が出来ないため、多少塩辛い時があった。ノイが来てから食卓が俄然カラフルに、またおかずの品数も増えた。母には特別に柔らかいものを作ってくれた。
日本では兄が炊事担当で食事を作っていた。タイに行ったら女中さんに日本料理を教え込むのだと張り切っていたのだが、出てくる料理が口に合っておいしいせいか、教えるどころか、すっかり料理する気をなくしてしまった。ところが料理上手のノイが、実家のお母さんの具合が悪くなったという理由でわずか1月でやめてしまった。母にも優しく接してくれており、こちらとしては残念だったが、家庭の事情では仕方ない。
彼女が姿を消して2時間後に新しい女中さんが家に現われた。名前はシーサン、ボアと同じ村に住む親戚筋の女性という。ボアが「指差し会話帳」で「気が合う」という単語を指差して嬉しそうにしていたが、ノイと何か確執でもあったのだろうか。シーサンが来て1週間ほど経つ。何となく聞きそびれてしまってシーサンの本当の名前をまだ知らない。シーサンという名前がチューレンなのか、シーがチューレンでそれに敬称の「さん」をつけてシーさんなのかも分からない。そういえばノイの名前も聞いていなかった。でも、聞いたところで覚えられないだろうし、チューレンだけでマイペンライ(問題ない)である。