好きなことをさせるのが・・・
日本の老人病院に母を入れたことがある。体にあった薬を見つけてもらうという目的だった。昨今、老人専門病院は常に満床で、すぐに入院できるとは限らない。幸い、医学部の教授をしている高校時代の友人がクチをきいてくれて、ある病院に入院させることが出来た。予定は11月から翌年1月までの3ヶ月間。この病院には認知症担当の精神科医ばかりでなく内科医も常駐していて、常に患者の健康管理を行い、必要があれば近隣の総合病院にすぐ転院できるとのこと。それまでに見学してきた病院に比べ、清潔で明るく、看護師を始め、介護担当者たちもしっかりした感じだ。
家から電車で2時間近くかけて、毎日のように様子を見に行った。はじめのうちは入院患者の口癖「こんなところはいやだ、早く家に帰ろう」と繰り返していたが、次にいったときは車椅子で点滴を受けていた。からだが斜めになっていて声が聞き取れないほど小さい。抗鬱剤や抗精神薬を老齢者に処方する場合、思いのほか効きすぎたり、効かないように見えても、あるときにまとめて効果が出てしまうことがある。薬の量や種類を少しずつ変えながら本人の体質に合った処方を見つけていくのだという。
入院して10日たった頃、内科医に呼び出された。母はナースステーション横の病室で両手に野球のミットのようなものをはめられて、ベッドに括り付けられていた。点滴を嫌がって、自分で針を抜いてしまうからだという。「腹部に腎嚢胞があり、これがいつ破裂するか分かりません。いずれにしても3ヶ月以内にもしものことが起こることを覚悟して下さい・・・・。食事を取らないし、手術の可能性があるので点滴してます。ただ、このままいくと点滴が入らなくなります。その時は大腿部、あるいは鎖骨部を切開して静脈を取り出し、そこから点滴を続けることになります」と担当の内科医はこともなげに言う。年に不足はないものの、はっきりあと3ヶ月といわれると暗澹とした気になる。タイに行くための検査入院なのに、これでは完全な寝たきりになって一巻の終わりだ。
その後、かかりつけの医者、泌尿器科の医師、親戚の開業医の意見を聞いたうえで、病院を紹介してくれた友人には悪かったが、入院2週間目にムリヤリ退院させてしまった。自宅に戻ると、母は何事もなかったようにビールを飲み、卵焼きを食べる。肌のかさかさも消えてきた。病院では、40人ほどの患者が一斉に食事を取る。30分以内に終らないと食器が下げられてしまう。ゆっくり食べることは出来ない。それは限られた人数で、決められた時間内に食事、歯磨き、投薬を行わなければならない介護職員にとっては仕方のないことだと思う。ビールや卵焼きが好きですから毎食お願いしますと言っても無理。規格に合わない患者はこうして寝たきりになっていくのだろうか。
タイに来てから、母は毎日ビール(画像)を飲んでいる。時には昼から飲んでいる。入れ歯を嫌がるので無理にはめさせない。入れ歯なしで食べられる柔らかい料理を女中さんが作ってくれる。パパイヤ、バナナ、オレンジなど歯がなくても食べられる果物も豊富だ。環境が変わったせいか、タイに来て4,5日間は興奮して、午後から夜にかけて、お腹が痛いと叫び通しだったが、最近はいくらか落ち着いてきた。常に女中さんがそばにいて散歩に連れて行ってくれたり、背中や手をさすってくれるので不安感が和らいできたのだろう。
3月初めに母とシルブリン病院を再訪した。プルーム医師の処方してくれた薬をネットで調べてみたが、睡眠薬が入っていない。日本いたときから夜、興奮して騒ぐことがあるので、睡眠薬は必須である。同じ薬を処方できます、と言っていたのにおかしいな、と思い、翌日病院に行ってプルーム医師に、どうして睡眠薬を処方してくれないのかと尋ねた。
どうしても、と仰るなら睡眠薬を出します。でも睡眠薬は頭がボーっとするので決して本人にはよくないのです。夜静かにさせたい、というのはご家族の希望で本人が望んでいることではないのかもしれません。あなたはお母様に、本人の好きなように、穏やかに暮してほしい、と言っておられましたね。私は医師としてお母様の症状が軽くなるように考えて薬を処方しています。このまま様子を見て1月後、またお母様と病院にいらしてください。
なるほど、食べ物や入れ歯装着ばかりでなく、薬も介護者の都合で考え、本人のためを忘れていたのか。とにかく、日本の内科医の言っていた余命3ヶ月はとっくに過ぎた。お母さんのためだから、と叱りつけて、何かを強いるのではなく、本人の好きなように、穏やかな余生を過ごしてもらいたい。