チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

初めてのアカ村 1

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初めてのアカ村 その1

母を連れてタイに行く、という行動は人から見ると突飛な振る舞いと思われたらしい。近所の人はもちろん、商店街の魚屋さん、介護用具の配達の人までが、「タイに行かれるんですってね」と言う。これで1月足らずでおめおめと日本に戻ったりしたら、興味津々で見送ってくれた人たちに何と言われるかわからない。召集令状が来て、入営したところ、肋膜炎かなんかで即刻除隊になり、故郷へ帰る人の気分になってしまう。

弟の口車に乗せられて、チェンライに来たのはいいけれど、見ることなすことすべて、聞いたこととは大違い、母を連れて即刻帰国する、といった最悪の事態も兄は想定していたようだ。幸い、多くの人の助けで、母も自分も穏やかに暮らしている。特に女中さん2人が親身になって母を世話してくれるのが嬉しい。介護の質は、制度の良し悪しや医療のレベルにあるのではなく、実際に介護にあたる人の心映えにあるのではないか。

夜食を終え、眠りにつくまでのあいだ、母に添い寝して背中をさすってくれている女中さんを見るとつくづくそう思う。
母はすっかり体も小さくなり、すっぽりと女中さんの懐に入っている。時には突然「さあ、家に帰ろう」と言いだす。どこに帰るの、と尋ねると、家とは50年以上を過ごした東京の家ではなく、母が幼女時代を過ごした四国の家のことだと言う。女中さんに抱かれて、幼いときの記憶が蘇っているのだろうか・・・・・
このまま、穏やかな日々が続いて欲しいと願うばかりだ。


ここで、自分がタイ北部チェンライに魅せられるようになった経緯を3回に分けてご紹介したい。
以下は、数年前にロングステイクラブの会報に掲載された旅行記の一部である。それまで余り知らなかった少数山岳民族にのめり込むきっかけとなった旅だった。

Hさんとアカ族の村訪問

今回の旅行では、初対面にもかかわらず、Hさんのお宅に数日お世話になった。Hさんはタイ人の奥さんと、チェンライ県、メースアイに暮らして10年になる。今年から年金が貰えるようになったとおっしゃるが、まったく年を感じさせない快活でダンディな紳士だ。奥さんの縁戚関係を含め、チェンライのタイ人の人脈に明るい。また磊落、世話好きなこともあって、チェンライ周辺の日本人に頼りにされている。ビザの延長、土地住宅の取得、運転免許の更新などわからないこと、困ったことがあると、みなHさんのところに駈け込む。ロングステイをしている人も、しばらく日本に帰ります、昨日帰ってきましたという連絡をする。「チェンライ、陰の日本総領事」といってもいい人だ。

 Hさんは以前、バイク店を経営していた。売ったオートバイは1000台を下らないだろうという。タイではオートバイのような高額商品は24ヶ月か36ヶ月の割賦販売が普通である。
タイ北部にはカレン族、モン族、アカ族など十数部族75万人という少数山岳民族が住んでいる。彼らはタイ族とは違った言語、風習、文化を持っている。
タイ北部の少数山岳民族にタイ国籍が与えられ、タイ人として身分保証されたのは1976年以降のことである。(それまでは難民扱い)
はっきりいって山岳民族はタイ族からは見下され、差別を受けている。だからタイのバイク店は現金であれば山岳民族にオートバイを売るが、割賦販売には応じないのが普通である。

しかし、Hさんは山岳民族であってもタイ族に対して販売するのと同様に割賦販売を行った。分け隔てのないHさんの対応は山岳民族に大いに感謝された。種々の理由でHさんのバイク店が倒産し、彼の家族が困窮したとき、アカ族の人達は山から食料を運んでくれたという。
そういった親戚付き合いをしているアカ族が住む村にHさんが案内してくれた。(続く)

画像のバナナは全部で20バーツ