チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

病院へ行く

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病院へ行く

到着してから5日目に母を病院に連れて行った。自宅から西へ3キロ、アジアハイウェイ2(AH2)と国道1020が交差するところにあるカセムラッド・スリブリン病院だ。チェンライではオーバーブルック病院と並ぶ大手私立総合病院である。王室が経営に関与していてタイ各地に姉妹病院がある。

一般的にタイの医療水準は高く、臓器移植、性転換手術(カルーセルマキも)、あるいはシミ・ソバカス治療のためにタイを訪れる日本人は多い。昨年の米国医学誌メディカルトリビューンの世界評価ランキングによれば、医師の質、病院施設、高度医療、ケアなどをチェックした結果、タイが総合一位に選ばれている。(バンコクの私立総合病院の評価だが) 因みに2位は米国、日本は6位だった。バンコクチェンマイの有名私立病院には、東京大学や慶応大学で学んだ、日本語の話せる医師がいて、それが病院のウリにもなっている。また、医師はおおむね英語を解する。

スリブリン病院の玄関には車椅子、ストレッチャーがあり、係員が待機している。玄関横にエマージェンシーと英語で書かれた救急診療入り口がある。その横に金ピカのお釈迦様が鎮座しているのがちょっと日本と違うところか。病院に入る前に、無病息災、万病平癒をお願いできる仕組みだ。救急車で運び込まれるときでは仏様にお願いしても遅いかもしれないが、敬虔な仏教徒であるタイの人たちは病院のお釈迦様から精神的な安定が得られるのだろう。(画像参照)

駐車場には係員がいて、空いた場所を指示してくれる。もちろん無料、駐車場には6人乗りカートを運転するお兄ちゃんが控えていて、病院玄関まで乗せていってくれる。せいぜい100mくらいの距離なのだが・・・・

玄関を入ると、インフォーメーションと英語で書かれたブースがあり、4,5名の看護師、係員が親切に応対してくれる。ここで、パスポートをみながら新患受付の手続きを行う。すぐにカードを作ってくれるのは日本の病院と同じだが、プラスチックカードではなく、姓名、年齢、初診日がバーコードと共に記載されている紙だ。カードと共にカルテと思しき紙をくれ、どこの診療科に行けばよいか指示してくれる。診療科はタイ語、中国語、英語の3ヶ国語で大きく掲示されているので、まごつく心配はない。

タクシン政治の置き土産で、タイ人の医療費はほとんどタダとなっている。だからタダで見てもらえる国公立病院は人で溢れかえっているが、私立病院は自由診療のせいか待合スペースは閑散としている。受付、診療、支払い、そして薬剤部で処方薬の受取、という一連の流れが通常30分以内で終る。

母を診てくれたのは国立病院兼任の脳専門医、40前後の精悍な感じの人だ。同行してくれたHさんの奥さんがあとで教えてくれたが、チェンライで一番の名医といわれる先生だそうだ。
日本から持参した英文紹介状にサッと目を通し、脳のCTスキャンノフィルムを凝視すること10秒、分かりました、‘鐱椶汎韻弧瑤鮟菠?任ます。決して治らない病気ではありませんから、皆さんと頑張っていきましょう Gが年ですから脱水症状にならないよう、水分を充分摂るようにして下さい、英語でキビキビと説明。診療時間は5分。

費用は看護費用40バーツ、医師診察料150バーツ、その他諸掛40バーツ、計230バーツ、これが固定費部分で、これに処方薬剤費がプラスされる。母の場合1月分の薬代が1500バーツだった。次回の診療は1月後。

薬は日本で1月分処方してもらっているのだが、シルブリン病院でくれた3種類の薬は明らかに日本のものと違う。郷に入りては、郷に従えと言うからなあ、と薬を今回受け取ったものに変えたが、今のところ母の病状は日本にいた時とさほど違いはない。

チェンライの天気のように穏やかに過ごしてくれればいいのだが。