中央アジア日本語弁論大会を聞く
休日にタシケントの日本センター(写真)で「第10回中央アジア日本語弁論大会」が開催されるというので出かけてみた。200人以上はいる会場がほぼ一杯となっている。楠本大使の挨拶に引き続き、審査員紹介、ルール、審査方法の説明がある。審査員には各国で勤務する日本人教師に混じって現地人日本語教師も混じっている。
ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの4カ国から予選を勝ち抜いた20人の学生が5分の持ち時間でスピーチを行う。スピーチのあと質問者から2つ質問を受けてそれに答える。という形でコンテストが進められる。
こういった集まりではウズベク人は私語をするのが常識と聞いていた、が会場は静まり返って発表者のスピーチに真剣に耳を傾ける。幼児が一人ぐずったら、周りから即座に「シーッ」といわてれている。現地テレビ局の取材も入って会場は緊張感が張り詰めている。
学生のスピーチはレベルが高く、日本の外国人学生弁論大会に出ても決して見劣りしないと思った。20名の発表者のうち13名が女性、7名が男性、やはり女子学生のほうがよく勉強するのだろうか。
6位になったウズベキスタン日本人材開発センターのセヴァラ嬢は「魔法の手」という題で母親の暖かい手がすべて自分の悩みを溶かしてくれたという話をした。
5位入賞のサマルカンド国立外国語大学のグルノザ嬢は「安心して暮らせる社会」という題で、日本に短期留学したとき、タシケント空港で盗難にあい、イスラム教ではうそをつかない、盗んではいけないと教えられているのにどうして、と泣いたこと、日本では落とした財布や電子辞書が届けられたときの感動という2国での体験を対比させて、ウズベキスタンが日本のように、またチムール帝国時代のように安心して暮らせる国になるようにと訴えた。
4位入賞のカザフ国際関係・外国語大学のアセリ嬢は「優しさの限界」と題してアルコール中毒患者ケアのボランティアをした経験から、手を差し伸べないことが、患者の依存心を断ち、却ってその人のためになるのではないか、という重い話をした。
3位入賞のアルファラビ名称カザフ民族大学のアセット君は「カザフ人とカザフ語」と題して、自分のロシア語中心の生活を祖父が嘆いたことから、カザフ語とカザフ文化継承における若者の責任について述べた。
2位入賞のタシケント国立東洋学大学のウミド君は「幸福とは何か」と題して、母の誕生日に贈り物をしようと希望のものを尋ねたら「お前が大学を卒業して、結婚をし、孫の面倒を見ることだよ。」と言われたことから、幸福とは物質的なものではない、優しさ、思いやり、家族愛にあるのだと訴えた。
1位になったのはサマルカンド、のりこ学級のアスロル君。「白いカラス」と題して、マハリャ(町内会に似たウズベク人の自治組織、冠婚葬祭、仕事の世話まで行う)の利点を述べながら、ウズベク人の保守性、事なかれ主義を批判し、空港の喫煙禁止場所での喫煙をやめさせるために、ほかの人間と違うことをする、この国で言う「白いカラス」に自分がなるという決意を表明した。
日本企業に勤められるチャンスもなく、何も現実的メリットがないのに、これだけの多くの学生が、ただ日本に憧れて、日本を知りたくて、必死に日本語を学んで、立派なスピーチをしている。スピーチのみならず、登壇、降壇のときの丁寧なお辞儀にも日本人らしさが漂っている。ウズベキスタンだけで9つの大学に日本語コースがあり、2000人以上のウズベク人が日本語を学んでいる。そのうち留学生試験に合格して日本に行ける人はほんの一握りにもかかわらず、だ。それに対し、日本人は中央アジアのことをほとんど知らない。彼らが一途に日本に恋い焦がれていることも知らない。彼らのひたむきな日本への「片想い」に触れてなにか痛ましく、切ない気持ちを抑えることができなかった。
明治時代、仏蘭西に憧れ、あまりにも仏蘭西は遠いと嘆いたある文化人は、行ったこともないパリの市街図を全て諳んじていて、「シャンゼリゼをリュクサンブール街に折れて、100メートルいったところにある○○のカフェラテは美味しいんだよ。」などと宙をみながら友人に語っていたという。ウズベクで、カザフで、キルギスで、タジクで、今、「三田の慶応大学正門前にある次郎ラーメンよりさあ、新宿の武蔵ラーメンのほうがさっぱりしていて人気があるんだよ。」などと熱く語っている若者がいるのかもしれない。