チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

実践的ロシア語授業

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実践的ロシア語授業

JICAの研修でSV(シニアボランティア)は2週間、隊員は3ヶ月の合宿訓練で現地語学を学習してきている。タシケントで勤務するSVと隊員はロシア語、サマルカンドやウルゲンチなど地方に勤務する隊員はウズベク語の授業を着任後に受講することになる。SVは午前中2時間半の授業2週間だが、隊員は午後もみっちり4週間絞られ、宿題も出て、ふうふう言っている。

SVのロシア語授業は日本で行ったサバイバルロシア語の復習ということであった。サバイバルロシア語とはあまり文法を重視せず、買い物と交渉、電話の受け答え、レストランでの注文など場面を設定し、そこでの会話を繰り返し練習して覚えるという実践的なものである。ロシア人のナタリア先生は日本に行ったこともあり、日本語ができるが、無論ロシア語のほうが堪能ということもあってロシア語中心に授業を進めていく。前日教えた単語、言い回しは当然覚えているものと思っておられるので、生徒はノートやテキストをひっくり返して、しどろもどろになりながら必死に答えていく。

日本での授業と違って、教室の外に出ればすぐに授業のロシア語が実践できる。ある日の授業は教室から銀行へ出かけていって両替をした。「50ドルをスムに替えたいのですが」とか「今日のレートはいくらになりますか」などと言わなければならない。交換レートは両替所の壁に張り出してあるし、黙ってドル紙幣を差し出せば両替してくれるのだが、ロシア語の授業である。生徒一人一人同じせりふを繰り返す。窓口のおばさんも面白がって「ご機嫌はいかがですか」などと聞いてくる。1ドルが1225スムで、ウ国の最高額紙幣が1000スムであるから50ドル替えると紙幣が60枚以上になる。
日本であれば銀行員の数えてくれた紙幣を財布か封筒にすぐ入れるところだが、こちらはそうではない。その60枚を超える紙幣を客が行員の前で一枚一枚数えて、受領書に書かれた枚数、額と一致するか確かめるのである。足りなければここでクレームを申し立てなければ受け付けてもらえない。金融機関に勤めた経験がないので、札勘には時間がかかる。

在留日本人に聞くと帯封の新券の束でも数えないと1枚抜き取られていることがあるという。「両替所では機械で枚数を数えていましたが。」と言うと「あなた、こちらの機械が信用できますか。」とたしなめられた。行員の目の前でお札を数えなおすのは常識、と心得る。

次の授業では全員バザールへ出かけて買い物をする。「いくらですか。」と聞き、数字を聞き取って「高いです。xxxにまけてもらえませんか。」などと交渉する。先生は横で聞いていて時折、助け舟を出してくれる。これもバザールの商人は大きな計算機を取り出して数字を突き出してくるので、テキストどおりにはいかない。でも先生がこのくらいの値段ならいいでしょうと教えてくれるので安心して値段交渉ができる。

その次はタクシーを停めて値段交渉をしてバザールからJICAまで戻るというものだ。1200スムで行けるはずです、と先生は言うのだが、なかなか交渉が成立せず、何台もやり過ごす。時間がなくなってきて先生から「それでは4人乗るのですから2000スムでもいいでしょう。」というお許しが出て、何とかJICA事務所にたどり着いた。

ある日の宿題は日本にいる人に手紙を書いてきなさい、というものだった。先生に同行して手紙を郵便局に持っていく。海外送信用の封筒は郵便局で購入する。50スムだ。速達航空便の切手代(20グラムまで)は350スムと合計400スム(40円)と日本の葉書より安い。「日本に送りたいのですが切手代はいくらですか」、「お願いします」などのロシア語の練習をする。宛名には英語だけではなく、ロシア語でも「日本」と書く必要がある。

実際にはやらなかったが、小包を送る場合は裸のまま郵便局に持っていく。まず送付物の厳重な検査を受ける。以前は原則禁止だった書籍類は、現在は内容により送付可能。梱包作業は郵便局員がしてくれるが、梱包料2000スムが必要。重さによって値段は違うが20キロまで送ることができる。 細かい申請書を3枚書かなければいけないので現地の人の助け無しでは送付できない。なお、地方の郵便局から日本へ手紙や小包を送っても必ず届くという保証はない。

ナタリア先生の授業は教室ではかなり辛いものがあったが、教室の外に出ての授業は実生活に直結しているだけに、楽しく、またロシア語が少し身についたと思う。