カイゼン
カイゼンはもう国際用語であり。オックスフォード・ディクショナリーにも載っている。戦後米国から入ってきたマネージメントシステム、理論はいくつかあるが、余り日本には定着しなかった。そのうちの一つがフォードの「提案システム」である。従業員がプロセスや手順の改善を会社に提案し、会社はその効果に応じて報奨金を払うというものだった。
フォードのやり方は定着しなかったが、これが日本ではカイゼンに生まれ変わって、トヨタのカンバン方式にまで発展する。何事も外国のやり方をそのまま取り入れるのではなくて、日本流に咀嚼、消化して新たなものに作り変えるという明治以来の和魂洋才の精神が発揮されたといえるだろう。
カイゼンとは何かというと、ー蠱覆諒儿后´⊂し変える 8充詑弍?△3つに集約される。仕事には目的があり、それを達成する手段はいくつかあるが、その中でよりよい方法を探す。例えば、売り上げ集計を作るのに手計算、そろばん、電卓、エクセルといろいろ手段はあるが、一番効率がよく、ミスが少ないものに変えていけば、それはカイゼンとなる。またカイゼンは大掛かりな変更を求めているものではなく、チャチと言っていいちょっとした変更である。例えば階段に板を渡し、スロープにして台車が通れるようにする。これは立派なカイゼンだ。
この世の中、お金とマンパワーと時間さえあればなんでも実現可能であるが職場では、その3つに制約がある。その制約の中で現実の変化に対応していかなければならない。苦労があったらそれに甘んじるのではなく工夫によって凌いでいく。窓から日が差して部品の組み立て作業をするのにまぶしい。カーテンを買ったり、ましてやビルを移るお金はない。それだったらイスを机の反対側に持って行って、背中に日差しを受ければまぶしくなくなる。これだってカイゼンだ。
ベンチャーを立ち上げる生徒は恐らく皆無だろう。しかし、大半の生徒はどこかの会社に勤める。実はベンチャーもカイゼンも身の回りの困ったことを見つけ、その原因は何かと考え、その解決策を見出すという点で共通点がある。
1980年代に多くの産業で日本は西欧を凌駕しました。まさか東洋の有色人種に負けるはずはない、何か秘密があるはずだ、と多くの調査団が日本にやってきました。その一つ、マサチューセッツ工科大学の調査レポートには日本の成功の秘密はカイゼンにあったと書いてあります、と授業を進める。
日本だからカイゼンができたのだ、トヨタだから、パナソニックだからということはない。今、世界の先進国がカイゼンシステムを取り入れている。ウズベクだって世界に伍していくためにはカイゼンを導入しなければならない。トヨタが50年かかったことをウズベクでも50年かかるかというとそうではない。経験やスキルを得るには教師と同じ年月を要するかもしれない。しかし、ノウハウややり方の学習ははるかに短い時間ですむ。これが後発のメリットであり、これがなかったら文明の進歩はなかったはずだ.。
カイゼンは実例を見て分かるように決して難しいものではない。実例には定石がある。これを応用、利用、借用すればすぐに効果が出てくる。職場で問題が起こったとき、他の会社ではどうやっているだろう、外国ではどうやっているだろう、昔は・・と次々と視野を広げていくことが必要だ。アイデアの借用、物まね大いに結構。アイデアを借りても返さなくてもいい、利子も要らない、それで少しでも仕事がやりやすく、効率的になればそれでいい。
カイゼンには身近な例をあげて説明すると効果がある。それは先進国だから、トヨタだからできたんでしょ、と言わせないためだ。
カイゼンとは無駄な仕事をやめて、その余った時間を本来やるべき大切な仕事にふりむけるというものだ。カレッジの先生は学期始めに、生徒の出席簿を手書きで作る。5クラスあれば5枚、学校の原簿を書き写す。いくらウズベクと言っても事務室にはパソコンとプリンタくらいはある。事務室のパソコンから名簿をプリントアウトしてもらえばすむ話。教師200人が名簿書き写しに30分かかっているとしたら100時間が無駄な時間だ。教師の本来の仕事は名簿つくりではない。この100時間をよい授業をするための準備に当てたらどうだろう。
無駄なこと、昔は意味があったが今は意味のないということはやめるのが一番。この国では毎年、街路樹を白くペンキで塗っているが、あれをやめたら困る人がいるだろうか。困る人がいないならやめて、そのった予算と人員で、でこぼこの道路を平らに修復してもらう。そのほうがずっと喜ばれるのではないか。
余りにもリアルな実例に生徒はあんぐりと口をあけて聞いている。身近な例とはいえ、話しながら学校やウズベクの批判になっているのではないか、と少し危惧はしているのだが・・・・