チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

通訳嬢と天国談義

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通訳嬢と天国談義

「日本人はみな仏教徒ですか」
そうでもないよ。葬式は仏教でやる人が多いけれど、大きな木や神道のお社などにも手を合わせる。アミニズムの傾向があるな。

「それでは神様か何人もいるのですか。神様はアラーが唯一無二の存在です。複数の神はモスレムには理解不能です」
何人どころか、八百万(やおよろず)と言って神様は無数にいることになっている。ご利益があればどの神様でもいいのではないか。ところでナフォサット、人は死んだら何処に行くのかな。
通訳ナフォサット嬢の画像(追加)は2007年7月16日ブログ参照:
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/34721757.html


「死んだら、メッカの方角に顔を向けて葬られ、お墓の中で最後の審判を待ちます。審判の日はいつか突然きます。その日は、大地は裂け、天の星は落ち、海は沸騰(ふっとう)します。現在の秩序が一切崩壊する天変地異がおきるのです。そして、人は裁きの場にひきだされ、死んだ人もすべて元の身体でよみがえり、裁きを受けなければなりません。裁きは、一人ずつ神の前に呼びだされます。そこで現世での行いを記録した帳簿を見せられ、尋問を受けます。現世でのすべての生き方が、その人の究極の救済を左右するのです。そして人は天国か地獄のどちらかに振り分けられるのです」
この世の終わりが来たときにいっぺんに裁きを受けるわけだね。天国と地獄の間に煉獄とか餓鬼道、畜生道とかのバリエーション、ランクはないの?

「ありません。天国と地獄、この二つだけです」
仏教には最後の審判という考え方はないんだ。善根を積んだ人は極楽にいけるし、あるいはまた人間界に生まれ変わる。輪廻転生と言って生命は永遠に続くという考え方だね。悪行を重ねた人は地獄にいくのだが悪行の種類や深さによって行くべき地獄の場所が決まっている。閻魔様という人の前で裁きを受けることになっているが、死んだらその都度、裁判をやってくれるらしい。イスラムみたいにこの世の終わりにまとめて一括審理という方式じゃないみたい。地獄へ行くといっても未来永劫ではなくて、刑期を務め上げれば動物や虫に生まれ変わる場合もある。
自分なんか前世で相当苦労したから(多分ロバか馬)、いま現世で比較的ラクな人生を送っているのではないか。またSVでも自分の10倍くらい働いている人がいるが、そういう人の前世は貴族かお殿様で楽な人生を送ったから、現世でひっちゃきになって働いているのではと思うよ。これを因果応報という。

「あ、イスラムには輪廻転生とか前世の考えはないのです。この世で行うこと、つまりアラーの教えに従って生きたかどうかだけが重要です。来世の救済を願って、この世を敬虔なモスレムとして生きることが大切になってきます」
フーン、それで六信五行が重要にになってくるわけだね。ところでイスラムの天国は緑の沃野に滾々と冷たい泉の水が湧き出ていて、山海の珍味がある。そこでは妙齢の処女たちがかしずいて様々なサービスをしてくれるし、美味しいお酒もある、とコーランに書いてある。酒は旨いし、ねーちゃんはきれいだ、という歌が日本にあるが、それはイスラムの天国のことだね。でも一つ疑問がある。敬虔なイスラム女性が天国に生まれ変わったら、レスビアンでない限り、それほど楽しくないと思うのだが。それともイケメンの美少年がサービスしてくれるのだろうか。

「ウーン、実はコーランのなかには、女性が天国へいる状態の描写がないのです。多分愛する夫と天国で幸せに暮らせるのではないでしょうか」
それじゃ、多くの夫にとっては来世でも地獄が続くということになるんじゃないの?
妙齢の処女がかしずいてくれるというのに、どうして現世のカミサンと死んだあとまで一緒に暮らさなきゃいけないんだ?

「ウーン、多分、女性の一番幸せだったときの、若くて美しい18か19のときの状態で楽しく暮らせるのではないかと思いますけど・・・自信はないけれど・・・」
あー、それなら天国における妙齢の処女の供給源がはっきりするな、なるほど・・・・。
もしボクが神様だったらナフォサットはもちろんウズベク女性の90%くらいは天国に入れちゃうよ。

「もう知りません! 先生は絶対天国に行けないと思います」

(最後の審判を待つメロン  画像はファルファッドのバザールから)