チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

メードさん

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メードさん

今住んでいるアパートは何処の部屋でもテニスラケットでサーブの練習ができるほど広い。掃除が大変だ。それにごみを何処に捨てていいかわからないし、アイロンかけもできない。ということで引っ越した時からメードを頼むことにした。週2回、掃除、洗濯、アイロンかけ、ゴミ捨てをやってくれる。たまたま茶碗など洗っていなければきれいに洗ってくれる。

シニアボランティアの大半はメードさんを雇っている。掃除、洗濯に加えて食事を作ってもらっている人もいる。必要額を渡してバザールで買い物を頼み、ウズベク料理を大量に作ってもらい、それを冷凍保存する。冷凍庫におさまった食物を1週間、電子レンジで解凍して食べる。口の悪いSV仲間に言わせるとxxさんはまるでドッグフードで生きている犬みたいな食生活だ、ということになる。同じウズベク料理を何日もも食べ続けるxxさんの忍耐力には脱帽する。何処の国に行ってもこういう人はやっていけるだろう。

初めのメードさんは大家の紹介できた50がらみの背の高いオバサンだった。週2回(火、土)来て貰って月30ドル、後でわかったがこのオバサンの本職は世界経済大学の経済学の現役教授だ。この国では先生の給料が安いので、このように大学教授であってもアルバイトをするのが普通とのこと。同じ教師として何か申し訳なくて、彼女が来る前は台所をきれいにするくせがついてしまった。

この先生は、一人では来ずに嫁さん、自分の母親、あるいは高校生くらいの男の子を連れてくる。多いときは3人がかりで風呂や台所、居間などをきれいにしてくれる。時間として1時間半ほどで仕事を終えて引き上げる。ハイティーンの男の子が片言の英語を話すのだが、カレンダーをくれ、とかすぐ何か欲しがるし、彼の来た日に限って冷蔵庫の中のチョコレートが姿を消したりする。でも、なくなったと思ったものがとんでもない場所から出現することがあるので、人を疑って気分の悪くなるようなことはやめて、インシャラーの気分で鷹揚に構えることにした。

通訳にせよ、メードにせよ人を使うには気を使う。人を使った経験がないせいか、間の取り方ががよくわからない。何処までやってもらっていいのか、何をさせてはいけないのか、言葉の問題もあり、お互いの了解点を見つけるのが難しい。

皿やどんぶりがいつもと違うところにしまってあったり、数少ない日本食材を整理して並べ替えてくれるのはいいが、これまで自分の頭にあった順番が違っている。えーと、かんぴょうはこの辺で昆布はあそこと、いつも確認が要る。乱雑に入れてあった肌着や靴下ががきれいに畳まれて行儀よく並んでいるのを見ると、自分のだらしなさを指摘されたようで居心地が悪い。見つかって困るようなものはないが、生活のすべてを見られているようで落ち着かない。

アパートの契約が1年を越え、契約更改となったのを機に、メードの給料を大家から払ってもらうことにした。30ドル用意して領収書を貰うのが面倒、と言う理由だ。ところがこのときに大家が大学教授ともめたらしく、彼女は来なくなり、代わりに60近い小柄なロシア女性が来るようになった。この女性は朝8時半に現れて、弁当(といってもパン、トマト、キュウリだけ)もちで13時くらいまで働きづめだ。大学教授がサボっていた窓拭きまでやってくれて、部屋が明るくなったような気がする。洗濯も来てすぐ始めるので帰る頃にはワイシャツなど乾いてしまう。だから洗濯物のアイロンかけもその日のうちに仕上がる。冷蔵庫の中もきれいになった。ついでに棚のどんぶりに入れていた貴重な梅干が処分されてしまった。確かに干からびてはいたが、ご飯を炊くときに1,2粒入れて大切に使っていたのだが。

独楽鼠のように働く彼女を横目に本を読んだり、PCに向かっていると落ち着かない。余りにも働きすぎたせいか、彼女も1月ほどで現われなくなった。

今はピンチヒッターなのだろうか、大家とその奥さんが来て、掃除やアイロンかけをしている。大家もこないだまで俺が住んでたんだよなー、という態度で長いすに寝転がり、アイロンかけをしている奥さんと雑談している。何かこっちが居候になったような気がするが、電球の付け替え、蛇口の水漏れ修理など、その場で頼めるし、このカップルが今のところ一番気を使わないすむような気がしている。