チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ボウリング

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日本人会総会のボウリング

6月のある土曜日にウズベキスタン日本人会総会が昨年と同じくウズボウルで開催された。
ウズベキスタン日本人会の会員は約120名、その内70名がJICA関係者である。ということは東南アジア諸国の日本人会と違って邦人企業の人が少ないことを示している。これからウズベク経済が発展し、両国の関係が深まって、日本人会員が激増してくれればいいのであるが、なかなか難しそうだ。

例年の通り、10時受付、10時半から懇親ボウリング大会、12時半から総会および懇親パーティ、14時散会というスケジュール。日本人会の年会費は個人会員10ドル、企業などの団体は100ドルとなっている。この会費が他の国に比べて高いのか安いのかはわからないが、ボウリング大会参加費、呑み放題、食べ放題の懇親会費込み、更に日頃お目にかかれないJICA以外の日本の方々にお話を伺える機会がもてると思えば参加しないわけにはいかない。

昨年の日本人総会にはお昼からの総会だけ参加してボウリングはやらなかった。理由は30数年前、会社に入ったとき「新入社員歓迎ボウリング大会」という催しがあり、それでブービーメーカーになってしまったことにある。ゴトゴトとガーターを繰り返す自分を見ていた女性社員の憐れみの眼差しや「お前は何ができるんだ」という上司の有難い励ましの言葉がトラウマとなって、それ以来ボウリングを毛嫌いしていたわけだ。

でもこの1年、タシケントのカラッとした暑さやあくまでも青い空が多少、狷介であった性格を変えたのだろうか、楽しまなけりゃソンじゃん、という軽い気になって今回はボウリングの部から参加。

ウズボウルはタシケントに3,4軒にあるボウリング場の中でも最高級とされている。レーン数は10レーン。受付順に番号札を渡され、1チーム5名のグループが10チームできた。男女個人戦の他、団体戦もあり、3位までに入ると豪華賞品がもらえる。

自分のチームは旧知のJICA職員Tさんに初対面のS建設の方、JICEの女性職員の方、前日紹介されたばかりの隊員という構成。おずおずと「どんなお仕事なんですか」などと自己紹介しあっていたが、ゲームが始まると、すぐ打ち解けてきた。ガーターを連発するTさんが「皆さん、申し訳ない」と土下座せんばかりに謝る。今できたばかりのチームであってもフォアザチーム、みんなのためにという機運が生まれるのだ。

604年に聖徳太子が定めた17条の憲法の中に「和をもって尊しとなす」という言葉がある。お互い心を通わせながら、共通の目的に力を合わせるという精神は日本特有のものだ。バックグラウンドは違っても一たび同じグループになったらそれぞれが補い合って素晴らしい力を出すということはよく知られている。
中国人が「我々中国人一人、一人は龍だ。日本人の個人は豚に過ぎない。ところがグループになると日本人は龍と化し、中国人は豚になってしまう」と日本人の「和」をうらやましがっていた。そういえば中東の現場で働いていた時、韓国のコントラクターは慶尚南道、あるいは同族の金グループなど出身母体を同じにしなければうまく仕事が進まなかったことを思い出す。

ストライクが出たといってはお互い手をぱちぱちと打ち合わせたり、スペアが取れなかったといっては悔しがる。お宅のチーム、ノっているじゃん、と隣のレーンから声がかかる。今日初めて結成されたチームとは思えないほどの団結力だ。

2ゲーム目になるとガーター連続のTさんも調子が出てきて、傑出した点数の人はいなかったが5人全員が3桁の点数をたたき出すという快挙。それぞれが平均点より少し上を出せたことによって、思いがけずボウリング団体戦優勝の栄冠を手にすることができた。和を尊び、お互い励ましあい、力を合わせた結果、といういかにも日本人らしい勝利であった。

賞品は日本酒、漬物、うどん、しゃぶしゃぶのゴマダレなどこちらではなかなか手に入らない貴重な日本食品多数。5人でジャンケンして賞品を分配。スズメのお宿を後にするおじいさんの気持を味わうことができた。

もちろん自分のボウリングについてのトラウマもこぶとりじいさんのこぶのようにきれいになくなっていた。