チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日本にはない商売

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日本にはないと思われる商売

前回、大型オートバイにまたがらせて、その写真を撮る商売の話を書いたが、ほかにも日本では見かけない商売というか、ウズベキスタンならではという仕事がある。

まず、ホテルから地下鉄に行くまでに、いくつもの零細タバコ売りがいる。コカコーラのケースを台にして、あるいはかばんを開いてタバコを売っている。いくつかの箱は開封されていて、タバコが顔を出している。タバコのバラ売りをしているのだ。1箱買えない人もいるのだろう。1本買って、売り子からライターを借りて火をつけていくという姿が見られる。輸入タバコのケントはスーパーでワンカートン2万スム(10箱入り2千円)近くするが、国産タバコであればワンカートン4200スム(420円)くらいだ。自分はノンスモーカーなのでわからないが、いつもは国産タバコを吸っていても、たまには美味しい米国産タバコを1本、味わってみたいという需要があるのだろう。

4月のタシケントの天気は気まぐれだ。JICAの資料によると4月の平均気温は13,6度であるが最低気温は0.2度、最高気温は31,2度となっている。昨日の日中は半袖でも暑い、と思った翌日には、息が真っ白になるまで冷え込んでコート無しには外に出られなくなるということもある。昨年は4月初旬に大雪が降ってタシケント市民を驚かせた。

今日も雪が降ってもおかしくない冷え込みで、日中もほとんど気温が上がらなかった。そんな寒さの中、スーパーマーケットの前でおばさんやおばあさんが、手に花束を持って声を張り上げている。鉢植えの鈴蘭を2つだけ持っているおばあさんもいる。そういえば朝、地下鉄の構内で、チューリップを20本くらい並べていたおばさんがいた。自宅の庭で栽培したものだろうか。この国では人の家に招待されたときには花を持っていくのが普通で、何かと花を贈る習慣がある。花の需要は高いのだろう。

また歩道にタニタの体重計をひとつ置いて、あなたの体重を量ります、という商売もある。一回100スム(10円)であるが、お客を見たことがない。しかし複数個所で見かけるので体重計に乗って、あら、また増えてしまったわ、といったりする女性がいるのかもしれない。この国では若い女性はスリムでスタイルがいい人が多い。でも年配の女性はもう体重などどうでもいいですというような太り方をしている人ばかりだから、女性の半分は顧客から除かれる。今度、時間があるとき、どういう人が顧客となっているのか観察してみたい。日本にいたときは毎朝、洗面所で体重を量っていた。こちらに来てから体重が増えたのか減ったのかわからない。以前ご紹介したウズベキ風油炊き込みご飯、プロフは大き目の茶碗1杯で1000カロリーあると、看護隊員が言っていた。ウズベク料理に付き物のピリョースカ(パン)もお腹一杯食べてしまう。まず自分が100スム払って体重を量ってみる必要がある。

あとひとつ、あまり書きたくないのだが、物乞いが多い。ホテルから駅に行くまでにも3,4人いる。地面に座って缶や箱をおき、その中に2,3枚、呼び水の小銭を入れておくという日本式ではなく、立って何かつぶやきながら手を差し出すというスタイルだ。見ていると結構多くの人が小銭を渡している。イスラムの助け合い精神だろうか。また政府が「持てる人」から税金としてお金を取り立て、「持たざる人」に福祉制度を通してして所得再配分するという形よりも、持てる人が持たざる人に直接お金を渡すほうが間接費かかからなくて有効だ、という考え方もできる。でも街でお金を渡している人を見ると、とても「持てる人」のようには見えず、風体も物乞いの人とそれほど変わらない。

一橋大学阿部謹也先生の本に、ヨーロッパ中世では物乞いは立派な職業であり、「物乞いギルド」も成立していた、と書いてあったと記憶する。それほど恥ずかしい仕事ではないのかもしれない。しかし、バザールへ行くと赤ん坊を抱いた婦人がこちらのわき腹をチョン、チョンと突いて、赤ん坊を指しながら物乞いをする。こういったおばさん、2,3人に取り囲まれて、チョン、チョンをやられると正直、恐怖を感じる。ガイドをしてくれた学生の一人が我々に付きまとった子供物乞いを突き飛ばし、その子はよろけていた。やはり楽な商売ではないようだ。