チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナボイ市郊外(2)

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サルミッシュ渓谷の岩絵 その2

普通、旅に出るとなるとホテルや交通手段を予約したり、行き先の情報を集めたりと下準備をするのであるが、今回はただ岩絵を見たいというだけで何も旅行準備はしなかった。というのは通訳のベク君が、大学時代の友人がナボイにいます、彼に連絡しておくから大丈夫です、と胸を張ってくれたこともある。ナボイを代表する文化遺産であるから、ベクの友人に会えば何らかの情報が得られるであろう。まずは出かけることが先決だ。行けば何とかなる。(この行き当たりばったりの無計画さがあとでいろいろと災難を招く・・・)

ベクの友人はウトゥクル君といってナボイで小学校教師をしているそうだ。ホテルは彼が1泊10000スム(日本円で1000円)のところを探してくれた。本人が到着時間を見計らって電話をくれことになった。どこかで待ち合わせて、ホテルに行き、夕食でもとりながら、ナボイ情報を聞けばいい。ウトゥクル君はぜひ家に泊まってください、父が外人はスパイだから関り合いになるな、と言っていますが説得します、と言っているとのこと。お父さんの心配は過去には決してなくはなかったことなのだろう。変な外人に関わってろくなことはなかったというソ連時代の経験をお持ちなのかもしれない。家にご厄介になるのは遠慮することにしても、彼の勤務先の小学校に行き、子供たちと交流の機会でもあるかと思い、きれいな折り紙や紙風船などを用意した。

2,3日、雨が続いていたが出発当日は快晴に恵まれた。久しぶりの青空が旅立ちを祝福しているかのようだ。アパートの周りの梨やサクランボの花も満開、リュックを背負って地下鉄ソビルラヒム駅に向かう。地下鉄チランザール線の終点、ソビルラヒム駅がジザク、サマルカンド、ナボイ方面行きバスのターミナルになっている。もちろん、長距離白タクも多数集まっている。駅を出ると多くの客引きが口々にサマルカンド、ジザク、ブハラなどと行き先を叫んで客引きに余念がない。遠くに帰る人たちのためにお菓子やおもちゃなど土産品を売る店、レストラン、屋台が早朝から店を開いている。タシケントでも活気のある場所の一つである。

ターミナルでナボイ行きの白タクを見つけるには苦労しなかった。ただ先客はまだ1名だけで相客が4人揃うまで出発を待たなくてはならない。値段はナボイまで2万スムだという。時間は5時間かかるというから、距離は500キロくらいか。500キロで2千円ならまあまあだろう。
ドライバーは40代のでっぷりした人のよさそうな人だ。50ドル(6万スム)払ってくれたらすぐ出発するんだけど、というが、それほど急ぐ旅ではない。明るい内に着けばいいのだから、と相客が揃うのを待つことにした。昨夏、ブハラからウルゲンチに乗り合いタクシーで行ったときも相客が揃うのを2時間待ったことを思い出した。

ドライバーは「ナボイ、ナボイ」と声を張り上げるのだが、なかなかナボイ行きの客が現われない。車の中で資料の読み込みなどをしていたが、春の陽気に誘われて寝入ってしまった。この日は嬉しくて朝5時に目が覚めてしまったし。大きないびきの音で目が覚めた。ドライバーのオジサンが運転席で寝入っている。相客探しで疲れてしまったのだろう。これから5時間ノンストップで運転してもらわなければいけないのだからゆっくり休んでおいて欲しい。そっと外に出て、ソムサ売りのオバサンからソムサ(写真)を一つ買う。ソムサとは羊肉、玉葱などをパイ地でくるんだものだ。ジューシーな羊肉がたまらない。1個200スムだったのでもう一つ買って食べた。本日の朝食代40円なり。

その後、自分が近くのレストランで昼食を取って帰ってきても相客は揃わない。自分でもドライバーに協力して「ナボイ、ナボイ」と行きかう人に呼びかけてもだめ。ドライバーはひまわりの種など買ってきて勧めてくれるが、ここで食べてしまうと義理ができるので断る。6時間近く待っても相客は揃わない。ドライバーには悪いと思ったが、明るい内にナボイに着かない恐れが出てきたので、明日出直すといってアパートへ戻った。

ウトゥクル君が電話をくれるはずの2時半になっても電話がない。こちらから彼の連絡先に電話をしたが、英語のわかる人が出てこない。ベクに確認してみたが、番号はあっている。家の電話で恐らくお父さんが出たのでしょうということだった。ホテルの予約キャンセルや明日の面会場所についてベクより連絡してもらうことにした。(続く)