チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナボイ市郊外(1)

イメージ 1

サルミッシュ渓谷の岩絵 その1

ウズベキスタンの観光といえば、世界遺産サマルカンド、ブハラ、ヒバがあって、行きと帰りにしょうがないので国際線の発着する首都タシケント1,2日滞在して帰国というのが典型的なパターンだ。確かに世界遺産の3都市ははずせない。それでは他にウ国に見るべきものはないのか、というとそうではない。ザラフシャン川流域、ナボイ市周辺も一度は訪れてみたいところである。

暑く、黄色く焼けた大地を見たいのであれば6月がいい。ポドンチャ(山アーモンド)の花やタンポポ、チューリップが咲き乱れる大地を見たければ4月。(チューリップのルーツは中央アジアウズベキスタンといわれている)温暖で過ごしやすいのは10月、11月。冬には雪も降る。季節の変化が激しいのがザラフシャン川流域の特徴である。ザラフシャン川流域の平野部はそれほど広いわけではない。その限られたエリアは、肥えた平野、草原、砂漠、岩盤の露出した丘など地形的なバラエティーにも富んでいる。急峻な山地には谷を刻み、山間を流れる美しい渓流、湖、雪や氷河、山頂部に残る万年雪はコーカサスやアルプスの美しさと遜色はない、と京都大学経済研究所の「キジルクムの自然、歴史、文化遺産」は述べる。

ナボイ市の北方40キロのところにサルミッシュ渓谷といわれる場所がある。そこの岩肌に紀元前5000年から7000年前に描かれた岩絵というものが存在することを本レポートで知った。その数3000点という。世界遺産となっているスペインのアルタミラ遺跡の岩絵ほど古いものではないが石器時代から青銅器時代にかけて描かれたもので、当時の人々の生活を知る上で貴重な資料となっている。

それは1961年春、カラタウ山地のサルミッシュで起こった。ある歴史の教師の主催した地形学の教室に38名の年長者が参加し、野外授業が行われていた。早朝から彼らは峡谷奥へと進み、峡谷内を流れる渓流の水源にたどり着いた。その日は、朝から曇り、時折、小雨もぱらつくような天候であった。その先へ更に進んでいくと、突然、左手に両側が岩の急斜面に囲まれた狭い回廊が現われた。この授業に参加していた女学生が、まず、この回廊内に進んだ。

しかし、彼女は急に立ち止まり、左右の岩壁を指差しながら急に笑い出した。彼女が指し示す先には奇妙な踊りを踊る男が壁に描かれていた。その男の側には、角を持った山ヤギや鹿が描かれていた。それは紛れもなく、古代の生活を表現した岩絵で、シリコンで作られた道具で岩肌に描かれたものであった。この峡谷内の岩山のいたるところで、そういった岩絵が次々と発見された。

 発見された岩絵には、山ヤギ、ロバ、馬、羊、牛、犬、人間などが描かれ、サハラ砂漠のタシリ高地の岩絵群で見つかった人間の絵に似たものもあった。ここでは当時の人の様々な生活模様が描かれている。弓を持った人が狩猟をしている様子や、犬が野生の牛を追い立てる様子、馬に乗った人が槍を抱えてヤギを追う様子などが描かれている。そのほとんどが1メートル四方の岩のキャンバスに描かれている・・・・・・・

この岩絵を元に古代岩絵を研究する記載岩石学(Petrography)という過去の文化を伝える学問が発達した。当時の人々の生活様式、信仰、世界観、景観までもがわかってくる。ウズベクのお土産としてスザニという刺繍やウールの絨毯を買う人もいるだろう。古いスザニは芸術品として美術館にも飾られている。ところがその図柄のいくつかは明らかにサルミッシュの岩絵に描かれたデザインから採用されていることが報告されている。

約3,000点の岩絵に描かれた図柄の数は15,000点に上るという。石器時代の、青銅器時代の、現代につながるデザインとはどんなものだろう。ヘロドトスが叙述したサク人、マサゲド人、スキタイ人はどう描かれているのだろう。 (画像は岩絵デッサン)

岩絵を見てみたい・・・・
それで、学校の授業が一段落して、2,3日休みの取れる時期を利用してナボイに行って見ることにした。(続く)