チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

お付き合い頂き有難うございます

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いつもお付き合い頂き有難うございます

このブログ記事も100回を越えた。創刊準備号4月6日にアップしている。赴任後1週間目だ。着いた当初は見るもの聞くもの珍しく、6日に続き7日、8日、9日と4本立て続けにお送りしている。こんな調子で送りつけられたのでは迷惑、と思われた方もおられたと思う。

100号ではあるが創刊準備号のほかに2本分を1回にアップしたことがあり、合計102本。
パソコンはサラリーマン最低限の知識しかなく、ブログについては全くの素人、インターネットに詳しい友人の全面的なバックアップのおかげで比較的早期にメール発信を始めることができた。昔から人のご好意におすがりして生きるタイプのように思う。
日頃、「ウズベクのバザールから」を書きながら、あ、これはxxさんが言っていたことだなあ、あ、これはzzさんが読めと言った本に書いてあったなあ、と友人知人の知識やご好意を思い出す。それだけ多くの方々にお世話になっていると改めて感謝したい。

サラリーマンとしては異例であろうが経済産業省系のシンクタンクに出向になった。40代後半のことである。その財団の専務理事から開口一番、「あなたはアジア政治経済の専門家ということになっています」と告げられびっくり仰天。当時はマレーシアやラオスベトナム、タイなどの東南アジア諸国がどういう位置関係にあり、国情がどう違うのか皆目わからなかった。大学の先生を訪ね歩いて少しずつ教えを乞い、道聴塗説を重ね、翌年には海外から来る大学教授や国際戦略研究所員とアジアの将来を議論しあうという厚顔ぶり。さらに門前の小僧でアジアやグローバル経済についてレポートまで書き始めた。

これが仕事、と言われるとサラリーマンは何でもこなすのだなと納得。周りの同僚を見ても電力会社で女子高生の採用をしていた人はインドの政治経済、自動車会社でエンジンを設計していた精密工学のエンジニアは地球温暖化の環境問題に取り組んで一流の仕事をしていた。
シンクタンクでは書くことが仕事の一部であったため、内容はともかく書くスピードだけは早くなった。書くことは才能ではなく量であると思う。ミドルシュートの練習を、またテニスのサーブの練習を1年も続ければ、多少は格好がついてくるのと同じことだろう。

広告会社に関係する知人から、メール配信をするに当たっていくつか忠告を受けた。

まず第一に人の悪口は絶対に書かないこと。第二に自分の健康状態は書かないこと。第三に一回の文章は800字程度に収めること。
自分では何気なく書いたことでも、書かれた本人にとっては腹に据えかねるということがある。JICA関係者には素晴らしい人が多く、時折そういった方をメールでご紹介している。レポートは必ず事前に本人目を通していただき、ご了解を得た上でアップするようにしている。それでも私の言ったことを書いたでしょ、と隊員に怒られたりしている。文章を書くことは知らないうちに人を傷つけていることがあると反省しきり。これからも注意が必要だ。

他人のブログを読むと「今日も下痢で6回もトイレに行った」とか「熱は42度、パジャマを3回替えた」などと自分の最大関心事である健康状態をコト細かに書く人がいる。読んでいるほうとしては同情するものの他人の病気には興味がわかない。これがおできからチョウチョが飛び出したといった奇病なら話は別だが、ウズベクではプロフの食べすぎでおなかを壊すくらいで、ご紹介したくなるような面白い病気はない。

天声人語産経抄、あるいは読売の編集手帳は概ね800字程度だ。これ以上長いと読者はうんざりする。お前のブログはわかりにくいし、長いし読む気がしない、とお叱りを受けたこともある。最初、創刊準備号を書いたとき1800字くらいだった。その後も書き始めると習慣的に原稿用紙4枚分くらいになってしまう。確かに冗長だ。

天声人語を熟読して「だがちょっと待って欲しい」などの決まり文句を覚えて「ということを考えた」と締め、書くことがなくなったら花鳥風月、天候ネタに逃れるという築地手法を身につければいいのかもしれないが。  (ここまで冗長に1700字)