チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日本での師走

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仲間やJICA関係者からゆっくり日本で骨休めを、というありがたいお言葉とともにタシケントを発ったわけであるが、日本ではかなりハードな日が続いている。12月2日に成田に到着し、その足で銀座で開かれていた忘年会に駆けつけたのを皮切りに、毎日のように飲み歩いている。先週の日曜から土曜までの1週間を見てみると6回の夜の宴会と6回の昼食会があった。お昼も食後に職場に戻る必要はないから必然的にビールを飲む。昼から飲む酒というのは格別にうまい。帰国以来、酒が切れないたことがない。

この記事のメールでの配信も80号になる。レポートを書きながら、あ、これはAさんが言っていたことだ、あ、これはBさんが読めといった本に書いてあったことだ、と一人、一人友人、知人の顔を思い浮かべる。案外自分で読んだ本やインターネットで得た知識は少ない。というよりもう本や雑誌、新聞、あるいはネット上で得られる情報はもう古いものであって、また建前を述べていて本質的なものではないことがある。
例えば、自分がウズベクに行く前に、「中西さん、ビジネスで儲かったら政府幹部がその会社を接収しにくるような国ではベンチャー論教えても無駄だよ」と教えてくれた人がいた。それを聞いたときは、何だ、はじめからやる気のなくなること言うなあ、と憮然としたものだが、現地に行ってみたら、それが冗談ではないことがわかった。またベンチャー論無駄アドバイスを前提に物事を見ていくと、社会、政治、歴史の問題点が見えてくる。ありがたい忠告だったといえる。

生きた知識を得るためには現場に足を運ばなくてはいけない。また実際に人の話を聞いて建前でない本音を聞きださなければならない。「ウズベクのバザールから」という以上、タシケントにいるときはもちろん、ブハラ、ウルゲンチ、ヒヴァなど地方に行ったときもまず、現地のバザールに出かけた。バザールも20箇所以上見て歩くと何かわかってくるような気がする。少なくとも2,3箇所しかバザールに行っていないときに比べ、何か目につく、気がつくことがある。これで数年もがんばれば、バザール評論家、ウ国バザールガイド一級ということになるのかもしれない。

本を読むことは大切だと思うが、やはり現場に行って自分の目で見る、人にあって話を聞くことは、自分の考えを作るうえで重要であると思う。だから、今回の一時帰国ではできるだけ日ごろご無沙汰の皆さんにお目にかかり、有益なお話を伺うことに専念した。と書くと、なんだ、毎晩飲み歩いているノンベーの単なる言い訳か、と思われるかもしれないが8割ぐらいは本音だ。

お目にかかった方々から「この本は面白いですよ」という助言を多数頂いた。また、来年からウ国で唯一のMBAコースに出講する自分を心配して、各種資料のみならずその道の専門家をご紹介頂いたりもした。昔から皆様のご好意におすがりして何とか糊口をしのぐパターンは変わらないようだ。

多くの知人、友人から読むようにと薦められた本の中に「ドラッカー入門」(ダイヤモンド社)があった。ドラッカーの言葉は、なぜ心に響くのか、万人のための帝王学を求めて、と帯封にある。ドラッカーはいつもなぜだろう、どうしてだろうと思い続けた人だった。そして見ること、つまり知覚と観察を通して変化の中から本質を見ようとした人だった。
組織論、リーダー論、ベンチャー論のみならず社会、政治、経済、経営、国際関係、宗教、歴史、哲学、倫理など彼の興味は広範囲に及ぶ。そしてその基本は人間に対する暖かい共感だった。未来学者と呼ばれることを好まなかったが、彼の予測はことごとく的中した。日本の経済大国化を予測したのは1959年のときだ。初来日の59年に日本に漲っていた「がんばるぞ」という気概がそれを確信したという。がんばる、継続的学習、自分の好きなことを伸ばす努力、社会、組織への貢献、彼の説いた帝王学は決して難しいものではなく、日本文化の美点とかなり重なり合う。

日本の成功は日本が西欧を模倣した結果はなく、西欧を日本が日本化したことにあったからだという。戦後、独立した発展途上国がテイクオフできなかったのは西欧の技術、制度を模倣することができなかったのではなく、それらの技術、制度を自国の文化に消化できなかったからだ、とドラッカーは説く。

はっきり言ってウズベク発展途上国である。西欧のウズベク化は始まったばかりだ。西欧の制度、技術をどれだけウズベク風に消化して自国の発展に役立てることができるのか、その考えの一端をどうやってウ国の生徒に伝えようか、その前にそれを受け入れる素地はあるのか、今週はゆっくりそういったことを考える時間を持ちたいと思う。

ウ国の生徒にドラッカーを語るとき、この本を薦めてくれた人を感謝とともに思い起こすことだろう。ありがたいことである。