チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

アライスクバザールへ行く(続き)

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世界言語大学学生さん案内の市内観光の続き

アライスクバザールを観光したあと、バザールから歩いて20分ほどのチムール歴史博物館へ行った。ご存知の通りチムールはチムール帝国の祖である。帝国の栄えた14,5世紀には首都サマルカンドギリシャ人、中国人、エジプト人ペルシャ人、アルメニア人など多数の民族が集まってきたという。博物館ではウズベク人学生は200スム、外国人は1000スムの入場料を支払う。

内部で写真をとる場合には1枚300スムをあらかじめ入場料とともに支払わなければならない。館内入口前にカメラ預かり所あり、カメラを持っている人はここで怖い顔をしたおばさんにカメラを預ける。欧米の美術館のように手荷物を預かってくれるのかと思って、ペットボトルやガイドブックの入った袋を差し出したらものすごい剣幕で突っ返されてしまった。

館内はモスクのようなドームになっている。天井中央から直径3メートルはあろうかというきらびやかなシャンデリアが下がっている。天井一面には青色の、息を呑むような美しい細密画がびっしりと描かれている。これじゃ一枚300スムの撮影料は仕方ないか、と納得する。館内には怖そうな監視員のおばさんがどこにも遊弋していて、こっそり写真を取れる雰囲気ではない。しかし、内部には博物館公認カメラマンがいて、階段をバックにウズベク人一家の記念写真を撮っていた。またチムール帝国時代の王様や王女様の衣装を着て、記念写真を撮るコーナーもある。関税(撮影料)をかけて国内産業(公認カメラマン)を保護する発展途上国の経済性政策がこんなところにも表れているのだろうか。

ドームの1階と2階に回廊があり、そこにチムール帝国の版図、出土物、当時の兵士のよろい、高貴な人々の衣装などが展示されている。英語の説明プレートもあるので結構勉強になる。ジャーナリスト志望の学生、フェルーザ嬢が「チムール大王様は喧嘩をして、土を広げました。」と一生懸命説明をしてくれる。「戦争をして領土を広げました、のほうが日本語として自然かもしれません。」と直して上げるとすぐノートを出して書き留める。

展示コーナーの一角にはカリモフ大統領寄贈になる壷なども展示されていた。96年、カリモフが政権を磐石にしたころ完成した博物館であるが、思ったより彼の写真は少なかった。

その後、タシケントの原宿、サイルゴフ通りに繰り出してみんなでウズベク料理を食べる。ピリョースカ(パン)、スズマ(クリームチーズ)、ショールパ(スープ)、アリビャ、アチチュク(サラダ類)、山盛りのプロフ、串焼(シャシリーク)20本くらい、お茶。全員お腹一杯食べ、料理も少し余るくらいだった。勘定は10人で3万スム。一人あたま日本円で300円だがもちろん学生さんからはお金は取れない。

プロフとはピラフの原型だ。綿実油でたまねぎ、肉、人参(米と同量以上)香辛料をよく炒め、それに水と米を加え25分ほど細火で煮て、あとしばらく蒸らして出来上がる。ウズベキスタンの代表的料理だ。市内を歩くと街角で鉄製の大なべでこれを作って売っている。朝プロフはいいが夕プロフには気をつけろ、と本に書いてある。油を大量に使う料理なので、夕方の売れ残りプロフはなべのそこに10センチくらい油が溜まっていて、油おじやみたいになっている。こちらの国の綿実油は不純物が多く、それでなくても腹をやられる。ブロフと発泡飲料の組み合わせは9割の確率で下痢をするとのことだ。そこでおっかなびっくり食べたがこれがうまい。多少のリスクは覚悟で茶碗2杯分くらい食べてしまった。

ウズベクの家庭では朝昼晩のうち、やはり夜が一番のご馳走ということだが、家族が全員そろわないと食べないとのこと、フェルーザ嬢の家では7時半から8時に夕食が始まるが、仕事の都合でお父さんが9時過ぎに帰るときは家族全員それまで待っているそうだ。家族全員のそろわない夕食は考えられないとのこと。父親の権威は強く、親の命じた結婚は特に理由がない限りその通りになる。スナック君は「父の決めることに間違いはありませんから。」と至極当たり前な顔で言っていた。恋愛の場合でも双方の親同士が話し合って両家が納得するというプロセスが必要だ。

日本では妊娠したのがわかってから慌てて結婚することがある、と言うと「それはウズベクでは大変恥ずかしいことでそういうことはまずありません。そんなことになったら両家は人に笑われます。」と学生たちが首を振りながら信じられないという表情をする。「私の周りでもできちゃった結婚はいくらでもあるよ。」などと隊員たちとの間ですっかり話が盛り上がる。何でもすぐメモするフェルーザ嬢はノートに新しい単語、「できちゃった結婚」をしっかり書き留めていた。

(中西英樹)