チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ブハラ、ヒバ 2

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任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その2

聖なるブハラ(ブハラ、イシャーリーブ)、あるいはサンスクリット語修道院を意味するブハラは、中央アジアのみならず、イスラーム世界全体の文化的中心地として繁栄を誇った町、その威光に満ちた姿から「他の場所では光は天から差し、地を照らす。ブハラでは光は地から差し、天を照らす」と称えられた、と「地球の歩き方」はブハラを紹介している。
2500年の歴史を持ち、古代からシルクロードの要衝として栄えた。仏教国として知られるクシャナ朝のあとゾロアスター教を奉じるソグド人の都市国家が栄え、その後アラブ軍の侵攻があって9世紀にはサマーン朝の首都として最盛期を迎える。イスラム文化ペルシャ文化の融合地としてイブン・シーナやルーダキー等多くの学者や詩人を輩出したことでも有名。1220年にジンギス汗の来襲を受けて一時衰えるが、チムールに再建される。16世紀にシャイバニー朝が興り、ジャーン朝、マンギット朝と、ソ連1920年に併合されるまでブハラ・ハーン国の首都として命脈を保った。今はウ国の一地方都市だが、古くは中央アジアにその名を知られた繁栄と栄光の町だ。

タシケントからブハラに着くと、機内から下ろされた乗客は、ぞろぞろと空港と外部を隔てる網のフェンスまで行き、そのまま出されてしまう。青空送迎場である。白タクの客引きが寄ってくる。バスが見当たらないので、多少吹っかけられていることを承知で空港から約5キロ、旧市街の入り口ラビ・ハウズまで行く。ハウズとはタジク語で池の周りという意味で17世紀に掘られた溜池を中心とした広場になっている。この6角形の池を基点としてモスクやマドラサイスラム学校)など旧市街の見所が歩いて1キロの範囲に固まっている。9世紀からこのたたずまいは変わっていないという。モスクの周りは中世の雰囲気を残す土壁の建物に囲まれ、そこには一般の人が暮らしている。そのいくつかはB&Bのゲストハウスになっていて、各国のバックパッカーのたまり場となっている。
この町はこじんまりしており、鄙びた土色のミナレット、モスクがいかにもイスラムといった感じで好ましい。多くのモスクの内部は土産店で占められているが、しつこく呼びかけることもしない。絨毯、スザニ(ウズベク風刺繍布)イスラム模様のバッグ、小物入れ、座布団生地など。面白い模様のスザニ、座布団生地もあるが、買って帰り、日本の居間で広げると思い切り浮いてしまう、といわれているので見るだけにする。

旧市街の見物は1時間もあれば終えることができる。まずざっと眺めて、あとゆっくりということにして、本日泊まるホテルを探す。リュックをしょって一軒、一軒、ルームレートはいくらですか、と聞いて、ホテルの雰囲気を確かめ、場合によっては部屋を見せてもらう。30年以上前にスペインの片田舎を旅していたころを思い出す。近代的なホテルでも1泊30ドルくらいだ。B&Bだと10ドル前後。

何軒目かで1泊朝食付き7ドルのゲストハウスにぶつかった。テレビ、トイレ、温水シャワー付き。一番安い。ひょいと壁を見ると、海外青年協力隊員Gさん手書きの「旅先で病気になったら」という和英表示のポスターとウ国で買える薬の一覧表が張ってあった。1月前にここに泊まったらしい。彼女とは先月、タシケントで会ったばかりだ。
ゲストハウスのオヤジが「地球の歩き方」を持ってきて91ページを見てくれという。確かに写真入でこのB&Bが載っている。調子のいいオヤジなので注意しろ、と本文に書いてあるが本人は知っているのだろうか。

夜、ブハラの救急医療センターに派遣されているS海外青年協力隊員と食事をして、ゲストハウスに戻ると、オヤジが、日本人がもう一人泊まっているよ、と中庭に面した部屋をノックする。20代前半の男性が顔を出して、こっちを見てほっとしたような顔をしている。これも何かの縁と、テラスでお茶を飲みながら話をする。自転車で中国からトルコまで5ヶ月かけて走り抜くという大友クンだ。

さっきここでアゼルバイジャンとベルギーの人と夕食をとったんですけど、このアゼルバイジャンの自称アーチストがアヤしい人で住所や電話番号を呉れて、ボクのももを撫でるんですよ、ノックを聞いたときに、アッ、来た、どうしようと思ったんです。そんな話をしていたら、外からアゼルバイジャンが戻ってきた。50くらいのなよなよした男で、耳にピアスなどしている。英語もどことなくオネエ英語だ。ネッ、間違いないでしょ、いや親切そうな人じゃん、アゼルバイジャンにも寄ったら?などと話をしていたら、ベルギーの写真家とドイツの女性建築家が話しに加わってきた。本日の宿泊者全員だ。大友青年の南米自転車旅行やウ国情勢について話が弾む。

何か、学生時代のビンボー旅行にタイムスリップしたような感じだ。あのころに比べ、自分はなにか進歩したのだろうか? 何も変わっていないような気がする。