チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

我が家に戻って約1月

いつものサンサーイ市場

同上

野菜売り

玉葱 一袋10B、バナナは5B

鮮魚はみな川魚

ご存じ竹虫、バター味で美味しい

 

我が家に戻って約1月

■チェンライの10月

だんだんチェンライの生活にも慣れてきた。ブアさんの干渉を別にすれば自分ひとりの時間が長い。パソコンでユーチューブを眺め、音楽を聴き、机の横にあるベッドでまどろむ。有り余る時間に幸せを感じる.

チェンライの10月の気温は20度から30度、月間降雨量は100㎜ほどとなっている。雨季から乾季に変わる時期であるが、今年の10月は雨量が多く、チェンライ県の最北端、メーサイでは今年18回目の洪水が発生したとニュースに出ていた。メーサイはミャンマーとの国境の街であるが国境は閉鎖されているし、観光客も少なく、中国からの物資流入も途絶えがちだからかなり寂れているのではないか

日本の10月13日は旗日、スポーツの日だった。タイの13日も前プミポンタイ国王の崩御の日として国民の休日となっていた。一応、日本から国旗を持ってきており旗日には国旗を掲揚するのであるが、前国王を悼む日に国旗を掲げるのは如何なものかと思って日の丸は出さなかった。10月23日はチュラロンコン大王記念日で祝日となっている。タイには王様、王妃様の誕生日をはじめ王室関係者にまつわる休日が年間7日ほどある。また仏誕節など仏教関連の祝日が4日ある。

日本の祝日は年間16日ほど、米国の10日、独仏の9日、英国の8日などに比べると先進国の中では祝日の数が多い国である。タイは、というと祝日は19日であるが土曜日が祝日に重なると月曜が休みになるし、例えば祝日が木曜だと金曜も休みにして4連休となることもよくある。それに教師の日とか銀行の日があって一部の人だけが休む日がある。やはりタイ人は働かないということか。でも自分は毎日が日曜日の身分であるから全く影響はない。

■コートで最年長

10月中旬は雨季の終りということか雨の降る日が多かった。天候は祝日よりも我が生活に影響がある。朝、雨が降っているとテニスコートが全面水浸しであるからテニスができない。深夜の降雨であれば、朝コートへ行って水切りをすればプレーできる可能性がある。

それにチェンライの雨は自宅で降っていても9キロ離れた運動場では降っていないこともままある。またこの逆もある。自宅からコートまで車で15分、行ってみるとスイス人のジョンが水切り作業中、ボロ毛布で加勢する。水溜まりが無くなったらラリー開始、そのうち仲間がやってきて4人揃えばダブルス、6ゲーム先取の試合が始まる。

十数年前、このコートでファラン4人組におずおずと「一緒にやらしてもらっていいでしょうか」と頼み込んだ。米国人チャックが「61歳?まだベイビーよ」と気さくに仲間に入れてくれた。あの時の4人は死んだり、行方不明でコートに現れなくなって久しい。初対面の時、あっちは70を越えていたのだから生きていれば90に近い。

考えてみれば自分がコートで一番年長になってしまった。昔は6ゲーム先取の試合を3つはやっていたが今は2つがせいぜい、3つやると疲れ果てて午後は昼寝が必要になる。10代、20代を相手にすることもある。若者はとにかく足が速い。それにすぐうまくなる。50代でも上達が早い。我が上達曲線は下降の一途、あと一歩、球に追いつけなくて悔しい思いをすることも再々。いずれ石破首相のように「辞めます」という時が来るのだろう。ボロボロになって身を退くよりもまだ十分やれますよと惜しまれて、といきたいが何事であれ、出処進退は中々難しいものだ。

■コート往復

天気がはっきりしないときはカリビアンでコートへ行く。バイクで行って突然の大雨でびしょ濡れになったことがあるからだ。この時はブアさんに相当怒られ、玄関先で着衣を全部脱がされた。

テニスの帰路、信号待ちをしていたら隣の左ハンドルの車の窓が開き、男が何やら大声で話しかけてきた。「アライナ(なに?)」。カリビから男を見下ろす。どうやら「カリビアンは俺が初めて乗った車なんだ」と言っている。我がボロカリビを見て話しかけずにはいられなかったらしい。「あっ、そう?この車の年齢は36歳なんだよ(36年落ち、という単語が思い出せなかった)」と答えると親指を立てて「ディー、ディー(いいね)」。

多分こんな経験は日本ではしないだろう。人懐こいというのだろうか。それにしても塗装は剥げ、毎日、冷却水をポリ瓶1本補給しないといけない車ではあるが走っていることを喜んでくれる人もいる。

走り去る車を見たらドイツ製の高級車だった。「何だったらそっちの車と交換してもいいよ」と言えばよかったと思ったが、すでに遅し。追いつくこともできない。