チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

靖国神社に参拝

この石柱にC国人がペンキを塗った

拝殿を臨む

遊就館の機関車

 

神門

同じ場所から望遠で

大村益次郎の像

同上、望遠で

 

靖国神社に参拝

■黄葉前の靖国

帰国した時は必ず靖国神社に詣でる。自分がタイで安閑として暮らせるのは英霊のお陰と思っているからだ。大東亜戦争当時、タイに進駐した日本軍が乱暴狼藉を働いていたとしたらタイ人の日本人に対する態度は今とは全く別のものになっていただろう。日本人ですというとタイ人の顔は微笑みで満たされる(場合が多い)。見ず知らずの自分がタイ人に受け入れられるのは英霊を始め、先人の振る舞いあってのことだ。この日本人ブランドを後世に繋げていきたいと思う在留邦人は少なくないと思う。

9月の晴れた朝、靖国神社へ出かけた。我が家からは地下鉄九段下駅まで約30分の距離だ。平日のせいか靖国の境内はひとの数は少なかった。大鳥居をくぐって本殿へのなだらかな坂を上る。銀杏並木はまだ色づいていないが、雌の木からはギンナンがポロポロと落ちて係員が箒で掃き寄せていた。手袋があればポリ袋に入れて持って帰りたいところだが、飽食の時代の日本、持ち帰ろうとする人は見かけなかった。

九段下から本殿に向かう途中には鳥居が3つほどあるが本殿に近づくにつれて小さくなっていく。鳥居は神様の通る道、拝礼をしながら端を通り抜ける。鳥居の中央は神様が通るのであけておく必要があるとか。

ラオスにワット・プーというクメールの寺がある。5世紀から15世紀まで栄え、4つあるラオス世界遺産の一つとなっている。丘の上のワットプー本殿に近づくにつれてある種の緊張感が高まっていった。少し勾配のある真っすぐな道、身を浄めるための水など聖域に辿り着くまでの寺院構成が伊勢神宮靖国神社と同じとだいぶ後になって気づいた。

靖国の拝殿は花見の頃と違って行列に並ぶこともなく、拝礼することができた。賽銭箱の前面に菊の紋章がある。この金の紋章を撮影しようとする人を警備員が押しとどめていた。拝殿から本殿が奥に見えるが、もちろん本殿撮影は厳禁。

■二礼二拍手一礼

まず、拝殿前で軽く一礼をし、賽銭箱にお金を入れる。戸越八幡や品川神社より多めの金額だ。頭を上げると「二礼二拍手一礼」と拝礼方法が書かれた拝殿内の紙が目に留まる。

まずは始めの二礼である。最初の礼で「神の御前に入ること」を、二度目の礼で「謙虚に身を低めること」を表す。

次に二拍手、両手を合わせ、音を響かせることで「人と神との一体化」を示す。二回打つのは「神と人の和合」を象徴する。

最後の一礼で参拝を終えたことを神に伝え、感謝と敬意を表して退出する。

このように、二礼二拍手一礼は「神に近づき、心を合わせ、感謝して退く」という一連の動作として解釈できるとか。この拝礼方法は多くの神社で一般的である。よく神社に太い綱がぶら下がっていて綱を揺さぶると丈夫の大きな鈴がじゃらじゃらと鳴る。この音は神様を呼び出す合図になるそうだ。英霊にお出まし願う必要はないから、靖国神社にはもちろん鈴はない。神社仏閣のあの鈴の正式名称は「鈴の緒」というそうだ。

若い参拝客も「二礼二拍手一礼」に則って参拝している。また鳥居を通るたびに本殿に向かって拝礼する人も少なくない。儀礼は伝統に通じる。こういった光景に心が和むのは年を取ったせいか。

遊就館

拝殿を右手に進み、参集殿を左に能楽堂を右に見ながら歩くと遊就館が見える。遊就館は祭神(英霊)縁の資料を集めた宝物館である。館内を参観して回ると2時間近くかかるので今回はパス、入り口の機関車やゼロ戦を見るにとどめた。ここでクレカよりちょっと大きい日の丸のワッペンを購入した。これをバイクの風防に貼っておくと交通取締りの警官が「おっ、日本人か、行け」と言って通してくれる。免許証を取り出す手間が省けるし、日本人を信用してるからだと嬉しく思う。これも英霊始め先人のお陰。

遊就館ロビーには実物の機関車、C56が展示されている。C56の説明書きには泰緬鉄道の経路図、各駅の写真がある。タイ国内には泰緬鉄道が残っており、カンチャナブリからナムトックまでの電車に実際に乗車したことがある。国鉄の技師術者であった叔父はこの泰緬鉄道建設に軍属として従事した。あの時も窓外を見ながら鉄道完成後、現地招集の二等兵として苦労し、ビルマに抑留された叔父のことを想った。叔父の戦争経験はほとんど聞いていない。彼の存命中はまさか自分がタイで暮らすなどとは思ってもいなかった。もっとタイの話を聞いておくのだったと思う。

後悔先に立たず、はこれに限らず、わが生涯には多々ある。多分これからもあると思うがそれが自分の人生なのだろう。