





同上、車夫は友人
元気老人だらけ
■品川区のパンフ
タイにいればタイ生活は気楽でいいなと思い、東京に戻れば日本は豊かで清潔で素晴らしい国だと思う。考えてみると行ったり来たりで、日、タイのいいとこ取りの生活と言える。タイ生活は足掛け16年になる。ここ数年は年に1,2回は帰国している。帰国理由は歯科治療、健康診断の受診などだ。健診は品川区の費用負担で原則無料、日本の老人対策はしっかりしていると思う。健診ばかりでなく、「品川区いきいきガイド」というパンフを見ると、親切にも「シニア世代の方々が地域で、元気に暮らしていくための7か条とそのポイント」が示されている。それは
1. 好奇心を持つ
2. よく笑い、よく笑わせる
3. 生きがいを持つ
4. 自分を知り、健康感を持って生きる
5. かかりつけ医を持つ
6. 悪い生活習慣を改める
7. 食べ物はよく噛んで、腹八分目。
健康で明るく暮らせれば介護予防になり、国保赤字の削減につながる。また老人の就労、ボランティア、趣味活動参加による仲間づくりで生きがいが持てる。水泳教室、国保の宿・日帰り温泉、シルバーピンポン教室など健康づくり案内も充実している。パンフには老人、年寄りの単語はない。代わりにシルバー、シニアの語が並ぶ。昭和の時代、東京老人総合研究所、略称、老人研という研究機関があったが、平成21年に東京都健康長寿医療センター研究所と改名している。この頃から老人という名称はあまり使用されなくなったのではないか。今では爺、婆は差別用語だ。
「しながわいきいきガイド」は大変読みやすく内容が充実している。兄は区の携帯教室に通ってファミレスで携帯注文ができるようになったと喜んでいる。こんなに年寄り、もとい、シニア世代は厚遇されていいものかと思うと同時に、福祉大国日本の有難さを痛感する。
■ボート仲間
30年も前の話になるがドラゴンボートを漕いでいた。ドラゴンボートとは1名の太鼓手、10名~20名の漕ぎ手、1名の舵取りで行うボート競技で中国が発祥と言われている。2019年、世界ドラゴンボート選手権大会がタイのパタヤで開催されたとき、日本代表として来タイした我がチーム応援のため、長躯800キロをバイクで駆け付けたことがある。
ボート仲間とはまだ交流がある。今回の帰国では5名の懐かしい面々と会食した。当時の若手も60代、70代だが大半が現役パドラーだ。まだ働いている人もいるがそれぞれボート以外にも各種の社会活動をしている。無為徒食の自分にとっては、元気に活躍している仲間との会合は本当に愉快だった。
中に音響関係、イベント企画、屋台のおでん屋など多彩な仕事ををしている友人がいた。彼は浅草に数台の人力車を持っていて、時には車夫として車を牽く。昼餐の後、彼の人力車に乗せてもらった。生まれて初めての体験だ。写真を見ると我ながら嬉しそうな顔をしている。
浅草寺辺りでは月収100万円という人力車も珍しくないという。外国人観光客がバンバンチップをはずんでくれるとか。自分も10歳ほど若ければ車夫デビューをしたかもしれない。お金が貰える上に適度に体を動かすので健康に良い。さらに車を牽きながら観光案内をすればボランティアにもなる。いきいきガイドにも紹介して欲しいくらいの仕事だ。
■説教と昔話と自慢話
帰国時に会った友人、知人はおおむね同年配、でもそれぞれに人生を謳歌していて明朗闊達だ。まずは健康だから外出もできるし、健康ならば気持ちも明るく、前向きに生きられる。要するに健康老人とだけ会っていたということになるが、こういった年寄りは多いのではないか。
タレントの高田純次が「歳をとってやってはいけないのは、説教と昔話と自慢話」といっている。この手の話題が嫌われるのは老人が若者に対して、であって同年配相手ならば話は別だ。
説教は「お前、糖尿病ならそれ食べ過ぎるのはよくないよ」とか「高血圧だから心電図は取らないと」といった説教は酒の席でもよく聞くし、為にもなる。「えっ、GHb A1cが8%?まだまだ、俺なんか12.9%だぜ」といった自慢話も悪くない。もう70を越えれば今更、現役時代の自慢話をしても仕方ないし、そういった野暮な友人はいない。若い頃はすごくても今は単なる年金引退老人、一視同仁の世界だ。
昔話と言ったらこれは老人の独壇場、御三家で残ってるの1人だけだよな、中3トリオであの子が好きだった、という昔話に熱中する。同年代でよかったよ、と思う瞬間だ。
でも自分も友人も公平に年を取って健康を害する時が来る。まあそれも人生、此処まで生きられて幸せだった、と目を瞑ると其のままあの世へ、これが我が理想の最後である。