





甲州種か
連綿と続く職人魂
■ばね作り名人
ばね(バネ、発条、弾機、撥条)とは、力が加わると変形して力を取り除くと元に戻るという、物体の弾性という性質を利用する機械要素である。広義には、弾性の利用を主な目的とするものの総称ともいえる。英語名は spring で、日本語でもスプリングという名でよく呼ばれる。ばねの形状や材質は様々で、日用品から車両、電気電子機器、構造物に至るまで、非常に多岐にわたって使用される。自動車に使用されるばねというと、車の振動や衝撃を軽減する懸架装置がまず頭に浮かぶが、それだけではなくバックドア、給油口、エアクリーナーなどの部品として約4000個のばねが自動車には用いられているという。機械部品であるから普通はオートメーションで大量生産されるが、いまだに手作業でしか作れないばねがある。
先日、山中湖にある友人の山荘に招かれた。その時にTさんを紹介された。Tさんはスプリング製造会社の社長さん、80過ぎだが毎日1万歩を歩き、現役の軟式野球審判として活動されている元気老人だ。彼はどこのメーカーも作れない特殊ばねを製造している。ある特性をもつばねは彼の手作り工程を経ないと生産できないとのこと。
大手鉄鋼メーカーが開催した新しい鋼材の説明会に参加した。そこで知り合ったスプリングメーカーの役員から2日後に注文が入った。「価格はいくらでも構いません」。
80歳になっても勉強会に参加する積極さ、またTさんの力量を初対面で見抜いて発注するメーカーもすごい。
■後継者難
日頃、日本語を話さない生活であったせいかTさんの話は興味深く、楽しいものだった。明るいから健康で仕事や趣味に生きられるのか、仕事ができるから健康で明るい性格になるのかわからないが、控えめながらも産業の一部を双肩に担っているという職人の誇りが感じられた。
それで、後継者はいるのですか、の質問には、時折、若い人が来るが手先が油で汚れる、爪先が黒くなるとか言って長続きしないね、ということだった。それに数十個単位のスプリング製造では浮き沈みが無くても産をなすほどは儲からない。それに今時のお母さんは背広を着てビルの中で働くするサラリーマンには娘を嫁がせるけれど、将来性が見込めない工場勤めの男には嫁がせないでしょ、という。そういうものか。そういえば初期の「男はつらいよシリーズ」で、寅さんが、前田吟扮する博に「菜っ葉服の職工に可愛い妹がやれるか」と啖呵を切る場面があった。令和の世なら「はい、差別」ということになると思うが零細企業軽視の伝統は昭和から続いているのか。
同じばねを作る仲間が一人いたがその人が亡くなって、今、特殊ばねを製造できるのは日本で彼一人だという。彼が仕事を辞めても、多分、職人気質の技術者がどこかに残っていて特殊ばね技術を継承していくと思うが確証はない。笑いの絶えない愉快な会話であったが結構、深い内容であった、と今になって思う。
■葡萄作りにも
一泊の宴会の翌日、断続的に降る雨の中を同じ山梨県の塩山牧丘へと向かった。友人、親戚、知人に頼まれた葡萄を調達するためである。毎年、彼が配送してくれる葡萄を楽しみにしている人が多いとか。十年以上、ブドウ園に通っているが老夫婦だけではやっていけず、廃業したブドウ園がいくつもあるという。剪定作業、ジベレリン処理、摘み取りなど高所での手作業が主である。頼みの息子は東京で会社勤務,ブドウ園を継ぐ気持ちはさらさらない。泣く泣く何十年もたつブドウの木を切る。
塩山の葡萄は種類によって8月から11月まで楽しめる。行ったときはシャイン・マスカットと巨峰が食べごろだった。巨峰は種無し、種ありの2種があるがジベレリン処理をした種無しは早く育つので種無しに比べ、少し甘味が少ないとか。一時、韓国産シャイン・マスカットが市場を席巻したが、韓国では日本並みの葡萄が生産できないという。種や挿し木が同じでも剪定、肥料など細かな配慮が味の差となって現れるそうだ。
3つのブドウ園を回ったが、どこのブドウ園もどうすればお客さんに喜ばれる葡萄ができるかに注力しているようだった。甲州、巨峰、甲斐路、ピオーネなどの従来種だけではなく、サニールージュ、ピッテロビアンコなど欧州種の葡萄も栽培してお客に提供している。タイの農家が新種のマンゴーやライチを開発、栽培しているとか、食堂でその店オリジナルのタイそばを提供、といった話は聞いたことがない。
ばね作り、ブドウ栽培にもより良いものを、という古来からの職人魂が日本を支えているが、それを次代にどう繋げていくか危惧の念を持ったのも確かである。