





チェンライの行旅死亡人
■法律はある
行旅死亡人(こうりょしぼうにん)とは、身元が判明せず、遺体の引き取り手がない死者のことである。その他、遺体の埋葬・火葬をする人がいない場合も同様とみなされる。明治32年にできた『行旅病人及行旅死亡人取扱法』には行旅死亡人とは「行旅中死亡シ引取者ナキ者」という簡潔明瞭な定義がある。日本では年間600件から700件の行旅死亡人が発表されている。
5月にチェンマイ日本国総領事館から、N.O.という65歳になる邦人がチェンライからコンケンに向かうバスの中で亡くなった、ついてはこの人に関する情報をお持ちの方はチェンライ日本人の会に連絡乞うというメールが送られてきた。総領事館による調査後の連絡だから、N.O,氏は正に行き倒れである。
話はそれっきりになっていたが、7月の日本人の会でこの件の続報を聞くことになった。以下は総領事館からの概要報告であるが関係者にはメール送付されているのでほぼ全文をツイートする。
今回の日本人旅行者葬儀の詳細 (2025年5月21日付I領事のメール)
お世話になっております。
今回は、チェンライで亡くなった日本人の手続きに関し、御協力していただき誠にありがとうございます。
以下、本件概要となります。
【死者】
N.O.
昭和34(1959)年6月15日(65歳)
日本の住所は「富山県魚津市であるが、ここ1,2年は東南アジアを周遊していた模様。
現在遺体はプラチャーヌクロ病院に安置してあり、火葬可能。
所持品(現金約1万3千バーツ、パソコン、タブレット等)は、ムアンチェンライ警察署に
保管中。
【死者の妹】
M.O.
高齢であり、家から出ることができない。
メールも使用不可。
死者とは50年くらい連絡を取っておらず疎遠であったが、2024年1月の北陸地震を契機に死者と再会。
しかし、その後も死者との関係は良好ではなく、今回の支援には消極的であり、死者の所持金の範囲内で処理をしてほしいとの要望。
【状況】
旅券の査証欄や妹の言から、死者はここ1,2年東南アジアを単独で周遊していたと思料
される。
5月16日、死者が1人でチェンライからコンケン行きのバスに乗ったところ、ワットロンクンあたり(チェンライ市内から10キロ地点)で「胸が苦しい」と運転手に訴えた。
運転手が救急車を呼び、プラチャーヌクロ病院に搬送されたが、その後死亡。
警察から総領事館に家族調査依頼があり、当館の調査で上記妹が判明。
上記妹は死者との関係が良好ではなかったこと等から、支援を拒否。お骨も日本送付不要とのこと。
しかし、同妹は死者の所持金を使用して遺体処理を行うことには同意。
同妹には、領事から「当地邦人(日本人会役員)に手続きを依頼し、死者の所持金の範囲内でできることを行ってもらう」旨説明済。(引用終わり)
■赤字は日本人会で負担
問題は葬儀費用だった。遺体搬出条件である治療費等を支払うと葬儀費用は7500Bの赤字となり、日本人会の役員が個人的に立て替えたが、総領事館からの支払いは拒否された。役員一同が善意で葬儀を行ったが、赤字が個人負担になるとは如何なものか。
日本人会において年間予算の十数%を占める額ではあったが当該赤字額を日本人会予算から支出するという動議が採択され、個人負担は避けられた。チェンライで亡くなったのも何かの縁、日本人会各会員の義侠心には心打たれる。
『行旅病人及行旅死亡人取扱法』では行旅死亡人の対応は、死亡人が発見された自治体が行う、となっている。明治の法律だから海外ではという明記はないが、タイ北部7県を管轄する総領事館が費用も含めて対応する、が筋ではないかと自分は思う。
数年前に日本人会会員が孤独死した。預金はあったが縁者が現れず引き出せない。葬儀は会員のカンパと総領事館の支出で賄われたと記憶する。確かに領事館からの支出は「これを前例としない」という注文付きであった。でも今回、善意で病院や警察との交渉、寺の手配など行った役員に対して総領事館の対応はどうだったか。「チェンライで亡くなった日本人の手続きに関し、御協力していただき誠にありがとうございます」だけで済ませていいものか。
それとどこを旅しようが、それは個人の自由であるが、少なくともチェンライを旅する邦人はもしもの場合、人に迷惑かけないよう多少の現金を持ち歩くようにして頂きたいものである。
坊さんを4人も呼んで葬儀、荼毘、散骨の一連の儀式、手続きが10万円足らずで済んだ、ということであるが、孤独死するならチェンライに行こう、という老人や10万持たせて老親をチェンライに行かせようという親不孝者が出てこないも限らない。人情薄きこと紙の如し、のイヤな世の中だし。