





兄が帰国した
■約3週間の滞在
兄が約3週間の滞在を終えて東京に帰った。通常、日本からの滞在客があればチェンマイ、トードタイ、或いはメコン河見物がてら川沿いのレストランなどに行くのであるが、兄も10年チェンライに過ごしていたから改めてどこか行きたいところはない。とにかくのんびりと過ごしたいというので、泊りがけの外出はしなかった。
チェンライに来る少し前、自転車走行中に縁石に乗り上げて転倒、左脹脛を痛めた。貼り薬ではよくならず医者にも行った。医師の話だと脹脛の腱が伸びている、貼り薬はやめて温湿布を勧められた。医師の紹介で訪れた鍼灸院では1週間ほどで治ると言われていたが、脹脛にしこりがあって痛みが取れない。歩行に不都合はないがとてもテニスは出来ないという。だから今回の滞在はタイマッサージで足の治療に専念する、が第一の目的であったようだ。
結果的にはほぼ毎日、1回2時間のマッサージがよかったのか痛みは消えた。もしかしてタイでもできるか、と一縷の望みを持って持参したラケットのガットを張り替え、一度はコートに出て仲間とゲームを楽しむことができた。もう1週間ほど長くこちらに居られれば毎日1セットくらいのテニスを楽しめたのではないかと思う。とにかく老人は健康第一、体の不都合が解決すれば精神も明るくなる。
■老化現象
兄は東京で独り暮らし、自炊の独居老人だ。どこか不調があるとスパイラル式に思考方法まで暗くなってくる。老人性鬱は体調悪化からくるのではないか。
兄と自分は体つきが似ている。この頃の健診では近親者の病歴や死因を聞かれる。兄弟であるから体質も似ている。兄が体調についてぼやく時、2年後(兄とは2つ違い)は自分もこうなるのではと思って真剣に聞く。曰く、聴覚が落ちた、食べ物の味が前と違う、昔より美味しいと感じなくなった、食べても太れない、握力が落ちた等々。
自分も2年後はこんなに禿げるのか、と頭髪が少なくなった兄の頭を見ながら聞いているが、まあ傘寿になるのだからごく普通の老化現象ではないかと思う。
昔、小島政次郎という小説家、随筆家がいた。美食家としても知られていた。でも晩年はあそこの料亭のXXは酢の味がきつすぎる、ここの店のXXの味は落ちた、と批判ばかりしていたが、それは味覚が老化により変化したことを自覚しなかったからだと言われている。年を取ると特に酸味に敏感になるそうだ。
また体重が落ちたと言っても年を取れば多くの場合、体が縮んで鶴のように痩せていく。綾小路 きみまろ に言わせれば「それで入れやすくなるのです」ということだ。病気等で急激に痩せるのでなければ、老人が筋肉量、代謝量の低下によって痩せていくのは当り前という。却って太っていれば膝や腰に過度の負担がかかり歩行に支障をきたすこともある。
■話し相手は貴重
自分も独居老人ではあるが、メバーンのブアさんが隣に住んでいて、掃除、洗い物で我が家に入り込んでくる。だから自分の身に何かあってもすぐ発見してもらえる。ただ自分のタイ語能力の不足もあって混み入った話はほとんどなしだ。
その点、兄が家にいると日本語で話せる。チェンライ日本人会のような狭い社会でさえ「話せばわかる」という人ばかりではないことを考えると、兄の存在は貴重だ。
今度の選挙さあ、どうなるかねえ、石破さんてなんか国民にアピールする政策を実現しことあったっけ、トランプ大統領のコモンセンス(常識)で考えようという発言はごく当たり前なんじゃないか。
別に内外の政治の話ばかりしているわけではなく、共通の友人、知人の話、昭和のテレビドラマの話など話題は多岐にわたる。我々3兄弟が通った地元の中学で教わった先生の話もする。もう死んじゃったよなあ、先生ばかりでなく往年の俳優、歌手など話題に入る前にもう死んじゃったよなあ、が枕詞になる。それに人の名前がすぐ出てこない、ホレ、あの人、子供が麻薬で捕まったじゃない? え、誰だっけ?
時にはさもないジョークに二人で声を出して笑う。笑いは元気の源だ。兄の笑い方はとても楽しそうで兄の笑顔を見ているだけで自分も元気になるような気がする。
また、気持ちが明るくなると食欲も出るのか滞在中に体重が3キロほど増加したという。
到着してしばらくは「もうチェンライに来るのはこれが最後だ」と言っていたが、我が家を訪問してくれたテニス仲間のロバートには「シー・ユー・アゲイン」とか言っていた。脚痛からの回復、体重増加のお蔭で人生前向きの傾向が見て取れる。恐らく来年もチェンライに来てくれるだろう。